Vol.16 石黒賢さん
Vol.16 2013/9/18更新
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石黒賢(いしぐろけん)
1966年東京生まれ、俳優。83年にドラマ「青が散る」で主演デビュー。その後、数多くのドラマ、映画などに出演。また、絵本の翻訳を手がけたり、ウィンブルドンテニスのスペシャルナビゲーターを務めるなど多方面で活躍。父はプロテニスプレーヤーの石黒修氏。
奥様と3人のお子様と都内で暮らす石黒賢さん。 台本を読んだり、DVDを観たりするため、家で過ごす時間も長いのだそう。 そして、家族と仕事の話もよくするのだとか。 そんな石黒さんが考える、暮らしと住まいの関係性は?
生まれ育った場所が一番落ち着く。住まい選びの条件は環境と花火が見えること
私は、東京生まれ東京育ち。東京以外では暮らしたことがありません。子供の頃は多摩川で釣りをしたり、河川敷で野球をするのが日常でした。20代前半までは、特に不便もなかったので実家住まいだったのですが、「いつまでも自立をせず実家に居座るのは、男としていかがなものか?」という思いも出てきまして、20代の半ばに一人暮らしを始めました。でも、自分が慣れ親しんできたエリアから離れるつもりはなかったですね。東京の中でも、自然に囲まれた静かな環境なので落ち着くというのはもちろんですが、子供の頃から毎年、多摩川河川敷で行われる花火大会が楽しみで。だからその花火がよく見えるところに住みたいっていうのも、譲れないこだわりなんです。そうしたら、ちょうど花火が目の前に見える部屋が見つかって即決しました(笑)。とても気に入っていたので、結婚するまでそこに住んでいました。一言で「東京」と言っても、緑に囲まれているエリアもあれば、窓を開ければビルの夜景が広がっているエリアもあります。でも、私は自分が生まれ育ったエリアの「東京」が一番落ち着く。今後も引っ越すことはあると思いますが、この環境から離れることはない。それくらい、生まれた場所に愛着は持っていますね。
子供を持つ親として思う父親と母親の役割とは
母はしつけに厳しかったですね。日常生活のあり方や礼儀などは、母からの教えが大きいと思います。それに対して、仕事への姿勢や取り組み方などは、父から影響を受けているのではないでしょうか。
私の父はプロテニスプレーヤーで、ちょうど私が生まれた頃に現役を引退。ですが、その後もテニススクールや講演会で地方をまわっていたので家にいないことが多く、家族揃って食事をとるということもほとんどありませんでしたし、私に対して言葉で何かを教えたということもありませんでした。しかし、多くを語らずとも、「プロフェッショナルとは何か」ということを示してくれていたと思います。
私も3人の子供の父親ですが、子供たちの態度や仕草を見ていても、やはり母親の教えが自然と身に付いていると思います。父親の役目はこれから。彼らが社会に出ていくとき、私が仕事にどう臨んでいるかを感じとってもらえればいいのだと思います。
家族の顔が見えて、変化に気づける住まいが大切
母には、「男たるもの、ひと前で泣くな」「弱音をはくな」と言われてきたこともあって、若い頃は「男は、黙して語らず」のほうがいいんじゃないかと思っていたときもありました。でも、実は話さないと分からないことって多いですよね。今は、夫婦間でも親子間でも、会話がとても大切だと思っています。
私は、家で仕事の話もよくします。子供には、自分が生業とする「俳優」という仕事に誇りを持ち、一つひとつの役に真剣に向き合う姿勢を、会話の中からも感じ取ってもらえればと思います。もちろん、今は分からないかもしれない。でも、成長してから「ああ、親父はこうしてたな」「親父が言っていたことはこういうことなんだ」と思い出してもらえればいいなと思います。
だからこそ、住まいは家族が快適に過ごせることはもちろん、互いの顔が見えて会話をしやすい場所でなければいけない。そして、そういう「箱」を用意することも、父親としての役割だと感じています。
衣装:インフルエンス
こぼれ話
1997年から約10年間にわたり放送された大人気ドラマシリーズ「特捜最前線」が、この秋「特捜最前線2013∼7頭の警察犬∼」として復活! 特捜課の7人の刑事が7頭の警察犬とともに事件解決に挑むというストーリーで、石黒さんは、主人公、椚谷評介を囲む特捜メンバーのひとり、特捜課係長・松城実朗を演じる。
9月29日(日)9:00∼(テレビ朝日)放映予定。
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