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Vol.31 大場久美子さん

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Vol.31 大場久美子さん

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インタビュー 私のいえ ~すまいの履歴書~ 各界でご活躍の方々に、家、住まいに、住み替えにまつわるお話を伺いました。インタビュー 私のいえ ~すまいの履歴書~

Vol.31 2014/12/16更新

『「世の中の役に立ちたい」という気持ちが
今の生活スタイルの基盤です。』 大場久美子さん

『「世の中の役に立ちたい」という気持ちが
今の生活スタイルの基盤です。』大場久美子さん

profile
大場久美子(おおばくみこ)
1960年埼玉県生まれ。劇団の子役を経て、77年に歌手デビュー。“一億人の妹”をキャッチフレーズにシングル・アルバムを次々とリリース。翌年、ドラマ『コメットさん』に出演し絶大な人気を集める。現在は女優業のかたわら、心理カウンセラーとしても活動。動物愛護活動やボランティア、講演なども行い幅広く活躍。

東日本大震災後に再婚や保護犬との出会いなどがあり、 暮らしの中の優先順位が変わったという大場久美子さん。 「今は犬たちのために、できる限りのことをしてあげたい」 という大場さんの生活スタイルとは。

実家は、常に人が集まる場所。家族だけでなく“みんなの家”

大場久美子さんの写真1
実家の暮らしを思い出す大場久美子さん

出身は埼玉県川口市です。物心ついたころに住んでいたのは、お風呂もトイレもない6畳一間の家。父が事業を始めたばかりで経済的に苦しかったときです。両親と兄と私で重なり合うように寝ていましたね。小学3年生のころ、父の仕事も軌道に乗ってきたので近所の長屋に引っ越すことができました。新しい住まいにはお風呂もトイレも付いていたことが本当にうれしかったですね。子供ながらもきれいな床が汚れることが気がかりで、友だちが遊びに来たときには足の裏を雑巾で拭いてから上がってもらっていました(笑)。
我が家の暮らしは、他の家と比べると少し変わっていたかもしれません。小さいころから家に帰ると知らない人が食事をしていたり、泊まりにきていたりというのが日常でした。料理好きの母がこまめに総菜を作っては冷蔵庫に常備していて、近所の人や親戚の人たちはお腹が空いたら自由に我が家に上がって、ご飯を食べていました。そんな風に常に誰かが出入りしていて、いつも人が集まっているのが当たり前。私たち家族の家というよりは“みんなの家”という感覚でしたね。
その後、私は13歳で劇団に入り、17歳のときには家を出て上京。19歳までは下宿生活をしていました。下宿先では6畳の部屋を与えてもらったのですが、狭いながらも自分の好きなようにできるのですから、それはもううれしくて。シングルベッドの上に、たくさんぬいぐるみを並べて喜んでいました。
部屋の家具はほとんど懸賞で当たったもの。ステレオ、テレビ、自転車……など、生活に必要なものは一通りタダで揃いました。くじ運が強いのか、よく当選していました。デビューしてからもしばらくはまだまだお金がなくて、衣装もすべて先輩のおさがり。頂きものだけで過ごしていました。

"結婚しない"と決めていた独身時代はずっと賃貸に住むことを想定

大場久美子さんの写真2
独身時代の住まいを語る大場久美子さん

17歳のときに出演した『コメットさん』で名前が売れ、芸能活動が軌道に乗ってきた19歳のときに下宿生活を卒業して都心のマンションへ引っ越しました。その後、32歳で個人事務所になるまでの約13年間、一度も引っ越すことなく同じ部屋に住んでいたんです。別に「とても気に入っていた!」というわけではないんです。リビングに敷いてあった鮮やかなオレンジ色の絨毯もまったく好みじゃありませんでしたし(笑)。賃貸なので自分で張り替えもできませんし、部屋の広さの割には家賃も高くて、住みやすいとは言い難かったですね。でも当時は生活環境を変えることが苦手だったので引っ越しをする気にはなれず、気がつけば長い年月が経っていました。マンションや一軒家を購入したほうが金銭面では賢かったかもしれませんが、そのころの私は、“結婚をしない人生”と決めていました。女性の一人暮らしですから持ち家になると管理が大変ですし、セキュリティ面でも不安があります。年を取ってからのことも考えると賃貸のほうが好都合だと思っていたので、購入する気はまったくありませんでした。
その後、個人事務所の立ち上げと同時にようやく引っ越しました。そのときの部屋はオフィス兼自宅でしたが、今でもよく覚えています。一面ガラス張りのリビングで目の前には大きな桜の木がありました。春になると窓一面がピンク色に染まり、まるで自分のためだけに咲いているかのよう! キッチンには大きなオーブンがあり、ベランダも広くてまさに理想的な環境でした。でも、4年ほど経ったときに犬を飼い、そこがペットを飼えなかったため他を探すことに。その後は最初の結婚、離婚などもあり転々としました。そして、2011年5月に再婚してからは現在の住まいです。

震災後は犬が中心の暮らしに。家の中の家具も必要最小限に

大場久美子さんの写真3
現在の生活について話す大場久美子さん

東日本大震災を機に、生活スタイルはガラリと変わりました。震災後、いろいろと思うところがあって「これからは世の中のために生きよう」と考えるようになったんです。そんなときに被災した動物の救援や保護をする活動が目に留まりました。ボランティアへの参加はもちろん、被災した犬の里親にもなり、もともと飼っていた2匹も合わせて今は5匹の犬たちと一緒に暮らしています。5匹いると朝起きる時間もまちまちなので、一番早起きの犬に合わせて、私も朝5時には起きますね。それから、みんなをお散歩に連れて行き6時にはご飯を食べさせます。7時半に主人が家を出て、そのあと私も仕事へ行くといった生活。
家の中の仕様もいろいろと変えました。今の家は、もともと主人が住んでいたマンションで、そこに私が入ったのですが、和室だったところを犬用のフローリングに張り替えました。また犬たちが過ごしやすいように、そして、留守番中に万が一地震が起きても危険がないように、大きな家具はほとんど片付けました。今はダイニングテーブルとテレビがあるくらい。タンスもなければソファーもない殺風景な部屋です。ベッドもないので毎日好きな場所に布団を敷いて寝ます。食事も好きな場所で好きな時間に。そんな風に自由に暮らすのが私たち夫婦のルールです。最初の結婚のときはもっときっちりしていましたし、本当は料理を振る舞うことも大好き。でも今回の結婚では妻らしいことはしないと決めています。というのも今は犬たちが優先ですからね。我が家の犬たちは、私たちが可愛がりたいとか、癒されたいという理由で飼っているわけではありません。中には残された命が短い犬もいますし、その子たちのために出来ることを精一杯してあげるのが、今の私の生活の基盤です。主人ももちろんその考えに賛同してくれていますし、最近ようやくこのペースに慣れてきてくれました(笑)。
いずれ、自分のための時間が持てるようになれば都心にもう一度オフィスを構えて仕事をしたいですね。のんびり暮らす前にもう一度バリバリ働く場所が欲しいなぁと思っています。そして、ゆくゆくは6畳一間の畳の部屋と縁側がある家に住みたい。その縁側でファンの人たちやお世話になった人たちとのんびりお茶をするのが、私の夢です。

こぼれ話

東日本大震災で被災した動物たちの救護・保護などを中心に行う「一般財団法人UKC JAPAN」の支援活動に積極的に取り組んでいるという大場さん。保護犬を預かり献身的な世話をすることはもちろん、チャリティーCDのリリース、街頭募金やチャリティーバザーなどの活動にも参加しているそうです。

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