Vol.32 田中雅美さん

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インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼ 各界でご活躍の方々に、家、住まいに、住み替えにまつわるお話を伺いました。インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼

Vol.32 2015/1/20更新

『温かく、かつ厳しい環境に
身を置けたことが幸運だったと思います』 田中雅美さん

『温かく、かつ厳しい環境に
身を置けたことが幸運だったと思います』田中雅美さん

profile
田中雅美(たなかまさみ)
1979年北海道生まれ。7歳で本格的に水泳を始める。競泳日本代表として、アトランタ、シドニー、アテネと3度のオリンピックに出場。シドニーオリンピックでは400メートルメドレーリレーにおいて銅メダルを獲得。25歳で現役を引退。現在はスポーツコメンテーターとして、さまざまなメディアで活躍。

中学卒業と同時に北海道から上京し、 水泳中心の生活を送ってきた田中雅美さん。 監督の家族や仲間と過ごした生活環境が あったからこそ、壁を乗り越えられたのだそう。 そんな田中さんに、現役時代の生活や、 今後の住まいプランなどもうかがいました。

中学卒業と同時に単身東京へ。新たな環境で水泳に挑戦

田中雅美さんの写真1
幼いころの話しをする田中雅美さん

生まれは北海道の遠軽(えんがる)町という小さな町です。父が高校の教員だったので、公務員住宅で暮らしていました。その後、父の仕事の関係で美唄(びばい)市に移り、私が小学校2年生のときに、今も実家がある岩見沢市に家を購入して引っ越しました。私は三姉妹の末っ子なのですが、一番上の姉が一人部屋で、二番目の姉と私は二人で一つの部屋を使っていました。とにかく負けず嫌いの私は、姉たちとよくケンカをしていましたね。特に同じ部屋の姉とは、物の取り合いやら、かける音楽を何にするやらで、いつもケンカ。そのたびに部屋の中に仕切り線を作っては「ここから私のスペースだから、入ってこないで!」と争っていました(笑)。ほかに当時の暮らしで印象に残っていることといえば、とにかく母がきれい好きだったこと。学校から帰ってくるとリビングはもちろん、私たちの部屋も驚くほどきれいに片付いていました。シーツもピシッと整えられていて、まるでホテルのベッドメイキングのよう。私には到底マネできないなぁと、今でもつくづく思いますね。
中学生まではそんな実家で生活をしていましたが、卒業と同時に家を出て上京しました。中学3年生のときに、都内のスイミングクラブへの移籍の話をいただいたんです。移籍となれば東京で暮らさなければなりませんでした。15歳で親元を離れることに最初は戸惑いがありましたが、私自身は不安よりも期待や挑戦してみたいという気持ちが強かったですね。母も「チャンスがあるなら挑戦しなさい」と背中を押してくれました。どちらかといえば心配していたのは父のほう。でも最終的には私の気持ちに同意してくれて、単身で東京へ行くことに。
上京する日、家族が新千歳空港まで見送りに来てくれたことを覚えています。みんなと顔を合わせている間は気丈な態度をとっていたのですが、いざ背を向けて搭乗ゲートをくぐると涙が止まらなくなり号泣。負けん気が強い私も、淋しかったんです。

高校時代は監督の家で下宿生活。大学時代は仲間と過ごす時間が励みに

田中雅美さんの写真2
学生時代を思い出す田中雅美さん

高校の3年間は水泳部の監督のご自宅に下宿をさせていただきました。水泳部の監督とはいえ、一度しか顔を合わせたことがない方です。ましてや厳しいであろう監督の家に下宿だなんて、今考えるとなかなか度胸がありましたね(笑)。でも、当時の私にはもちろん選択肢はなく、「今日からここに住むよ」と言われれば「はい」というだけでした。そうやって周りの人たちに支えられながら環境がどんどん変化していきました。もちろん監督や奥さま、娘さんも私のことを家族のように温かく迎えてくれました。そして、優しいだけではなく厳しくしつけてくださったことこそが幸運だったと思います。高校生ですから遊びたくもなりますが、そんな中で、今やるべきは水泳であることを言い続けてくださいました。そのおかげで、私自身の水泳に取り組む気持ちも変わりましたし、同時に記録も伸び高校へ入って3ヶ月後には日本代表になりました。とても恵まれた環境で水泳に集中できたことを、今でもすごく感謝しています。
高校卒業後は中央大学へ進学し、初めて一人暮らしをしました。水泳部は、基本は寮生活なのですが、中央大学はそれまで男子部員しかおらず、私が初めての女子部員だったんです。そのため女子寮がなく、大学の近くに部屋を借りました。7畳のワンルームでしたが、自分だけの空間を一から作っていくのはとても楽しかったですね。ホームセンターでブロックと板を買ってきて自分でオリジナルの棚を作ったり、レコードのジャケットを飾ったりしていました。その後入部してきた後輩たちも同じように故郷から上京して一人暮らしをしていましたから、練習後には誰かの部屋に集まりご飯を作ってよく一緒に食べました。厳しい練習とシドニーオリンピックを控えたプレッシャーもある中で、そういう時間こそがリフレッシュになりました。

10年間で8回の引っ越し。今後は購入することも検討

田中雅美さんの写真3
現在の住まいについて語る田中雅美さん

大学卒業後はアメリカへの留学やアテネオリンピックを経て、25歳で現役を引退しました。現役のときは練習拠点である母校の近くに住んでいましたが、引退後は都心へと引っ越しました。その後、実はこの10年間で8回も引っ越しをしているんです。今の仕事をさせていただくことになり事務所へ通いやすい場所へ移ったり、犬を飼ったことでペットの飼育ができるマンションに引っ越したり......。そのときの部屋が気に入らないというわけではなく、ライフスタイルの変化にともなって必要に迫られてといった感じです。
部屋を決めるときの決断は、早いほうだと思います。これといったこだわりがあるわけではないのですが、これまでを振り返ると光が入る明るい部屋に惹かれますね。今暮らしているマンションもガラス張りで光が燦々と入り、開放感のある空間です。住み始めて1年半くらいですがとても気に入っています。食べることも料理をすることも好きなので、友だちや後輩を呼んで一緒に食事をすることもよくあります。最近の出来事といえば絵画をオーダーしたこと! 好きなアーティストの方に私の憧れでもあるイルカを描いてもらいました。安い買い物ではありませんが、家の中に好きなものを置くことは仕事のモチベーションを上げることにもなると思います。地方出張も多いからこそ、家の空間づくりは大事にしたいですね。
今の部屋は3年後には家主の方が帰ってくるので引き渡さなければなりません。次の引っ越しがそのタイミングになるかどうかは分かりませんが、そろそろ購入も考えたいなと思っています。とはいえ、「いつまでに必ず買う」というのではなく「自分が買える範囲で気に入ったものに出会ったら」というくらいの気持ちでいたいと思っています。納得しないままに買っても、妥協点が増えるばかりで、きっと後悔してしまいますよね。今後のライフプランも立てながら、焦らず気長に考えていこうと思います。

こぼれ話

田中さんがオーダーしたという、アーティストユニット「Fujiyoshi Brother's(フジヨシブラザーズ)」の絵画。「花の海の中でピンクのイルカが泳いでいる絵で、ソファーに座ったときによく見える位置に飾っています。以前番組の収録でイルカと泳ぐ機会があったのですが、それ以来、イルカは心惹かれる存在なんです。私が背びれを持つとぐるぐると回ってくれたり、一緒に深いところまで潜ったりしてくれたのですが、その体験が忘れられなくて! また必ず、一緒に泳ぎたいと思っています」

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