Vol.34 井上晴美さん

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Vol.34 井上晴美さん

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インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼ 各界でご活躍の方々に、家、住まいに、住み替えにまつわるお話を伺いました。インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼

Vol.34 2015/3/17更新

『想像していたのとは、真逆のライフスタイル。
でもそんな人生もありかなって、思います。』 井上晴美さん

『想像していたのとは、真逆のライフスタイル。
でもそんな人生もありかなって、思います。』井上晴美さん

profile
井上晴美(いのうえはるみ)
1974年熊本県生まれ。91年、桜っ子クラブさくら組の一員として16歳でアイドルデビュー。その後、ドラマ、舞台、映画など数多くの作品に出演。国際結婚をして、現在は3児の母。出産を機に東京を離れ、自然に囲まれた田舎で暮らしている。

華やかな都会の生活から一転し、 大自然に囲まれた田舎での生活を送る井上晴美さん。 今は地元、熊本で築80年の古民家を改築しながら、 子育て、農業にも励んでいるそう。 「大変ながらも楽しい!」という、その暮らしぶりをうかがいました。

16歳で熊本を出て上京。東京ではおしゃれな街に憧れ転々と

井上晴美さんの写真1
上京したころを思い出す井上晴美さん

生まれは熊本県で、実家は農家だったのでまわりには田んぼや畑が広がっていました。2世帯住宅でしたが、食事は祖父母も一緒でしたし、子どもは私を含め3人いたので大家族でした。中学を卒業後、16歳で芸能界に入るのと同時に上京しました。今までたくさん家族がいたのに急に一人ぼっちになり最初は淋しかったですが、学校と仕事の両立で忙しかったこともあり、孤独感はなかったですね。
最初に住んだのは、高円寺の駅前にある4畳半の部屋です。事務所で用意してもらった部屋でした。田舎の、それも農家ってすごく広いでしょ。そこからやって来たのだから、4畳半の部屋での生活は狭い場所に押し込まれたような気分でした。窓も小さいし、「緑」とか「自然」もないし、ユニットバスでトイレとお風呂が一緒だったから、もうびっくり! そのギャップに最初はショックを受けました。でも、実家では一人の空間は全くなかったので、自分だけの場所ができたのは嬉しかったですね。すぐに「一人暮らしって、意外と快適」と、楽しくなっていました。好奇心が旺盛だったので、休みの日は一人で知らない街を探索して、「東京ってこんなところなんだ」といろんな発見をしていました。それで、東京のことが分かってくると他の場所に住みたくなっちゃって。当時、アイドルの友だちの多くが東横線沿いに住んでいたこともあり、そのエリアがおしゃれなんだって思ったんです(笑)。すぐに自分で不動産屋さんをまわって物件を探し、東横線沿いに引っ越しました。それから、しばらくすると「世田谷区」という響きに憧れて引っ越し、またしばらくすると「自由が丘」に惹かれて移りました。それから数年後、今度は緑が恋しくなって、都心から離れたところに庭つきの一軒家を借りて、熊本から母を呼び、既に上京していた弟と三人で暮らしました。地方から出てきて、おしゃれなイメージや地名の響きに惑わされて、思いのままに引っ越していましたね(笑)。

子どもが生まれたことを機に田舎へ。長野では地域の人たちとともに楽しく過ごす

井上晴美さんの写真2
長野での生活を振り返る井上晴美さん

その後、2004年にカナダへ留学をしました。そこで、今の主人と出会い国際結婚。私は、日本とカナダを行ったり来たりする生活を続けていましたが、しばらくして主人も一緒に日本で暮らすことになりました。彼は日本に移り住むことにはまったく抵抗がなかったみたいです。そして、母と弟が暮らしている一軒家に戻ってきたのですが、長男の誕生を機に東京を離れて田舎で暮らすことになりました。主人は「自然の中で、子どもを育てたい」という考えがずっとあり、「子どもができたら、田舎で暮らす」と常々言っていました。とはいえ私は仕事があったので、「じゃあ、私の仕事はどうするの?」とたずねると、「それは君の話でしょ。子どものことを考えての話じゃないよね」と返されてしまって。最初は納得できないまま「はい、分かりました」って......。でも、芸能界の仕事だからといって、必ずしも都会に住んでいる必要はないんですよね。仕事のときだけ東京に行けばいいんじゃないかなって、考え直したんです。枠にはまる必要はないし、私の考え方が少し固かったんだなと思いました。
そして、長野県の田舎に引っ越しました。もちろん知り合いはいないし、お店もないから最初は戸惑いました。昼間は、主人は会社に行っているので、私は赤ちゃんと二人きり。やることも行くところもなくて、カゴに入れられた小鳥のようでした。
主人には、「貸していただける畑を探して」と言われていたんです。でも、誰に聞いていいかも分からなくて。それで、たまたま道ですれ違った農家の方に声を掛けると、「空いている畑があるから、使っていい」とお借りすることができました。そこから、その方を通して地域の方たちとも交流が始まり、畑仕事をするようになると毎日がすごく楽しくなりました。

3人目の出産を機に地元の熊本へ。古民家を改修しながら、農業生活

井上晴美さんの写真3
熊本の生活について話す井上晴美さん

4年前、3人目の子どもを出産のために熊本の実家へ里帰りをしていました。しばらく実家で過ごしていると地元の熊本への愛着が沸いてきて、ここに住みたいと思えてきたんです。子どもたちにとっても祖父母が近くにいる環境のほうが学ぶことが多いですから、長野には戻らず熊本で生活をすることに決めました。
主人は日本の古民家に憧れがあり、どうしても住みたいということだったので、家探しを始めたんです。でも空き家は多いものの、なかなか他人に貸し出してくれる人はいなくて。集落をあちこち訪ねて、やっと見つけたのが築80年の古民家です。今はその近くに住んで、本格移住するために修復を進めています。
何も手入れせずに放置されていた空き家だったので、まず掃除から始めましたが、それだけでも1年くらいかかりました。なにせ築80年ですから、土壁も骨となる竹が腐っていて触っただけでボロボロと崩れ落ちてきます。もう、何から手をつけていいやら、という状態でした。
ひとまず、業者の方の手も借りて、かまどを修復しました。そして、もともとあった五右衛門風呂を磨き直して使えるように整えたところです。家自体のリフォームもしたいのですがプロの方はみなさん「一度潰して建て直したほうがいい」とおっしゃいます。でも、いつか、「潰さずにやってみよう」と言ってくれる方に出会えるんじゃないかという気がしていて、そのときを待ってみようと思っています。主人は自分でリフォームをすると言い出していますが、専門知識が何もないので、さすがに危ないですから必死に止めています(笑)。
20代のころは結婚にさえ興味がなかったですし、田舎で子育てをしているなんてまったく想像していませんでした。ましてや、山の中でサバイバル生活ですから。大都会でセレブ生活に憧れていたこともありますが、でも、こんな人生もありかなって。今は、3人の子どもと主人と熊本の大自然に囲まれ、そして築80年の古民家と格闘しながら毎日楽しく生活しています。

衣装:TADASHI SHOJI

こぼれ話

写真は、修復したかまど。「放置されていたかまどを、業者の方と一緒に修復しました。火口のふたのサビを落とし、地道にレンガを積み上げて、その作業だけでも3日間です。天板には割った色とりどりのタイルを貼り付け、かわいく仕上がっています」

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