Vol.56 勝俣州和さん

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Vol.56 勝俣州和さん

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インタビュー 私のいえ 〜すまいの履歴書〜 各界でご活躍の方々に、家、住まいに、住み替えにまつわるお話をうかがいました。インタビュー 私のいえ 〜すまいの履歴書〜

Vol.56 2017/4/18更新

公園と商店街があって、人が温かい。そういう街が好きです。 勝俣州和さん

公園と商店街があって、人が温かい。そういう街が好きです。勝俣州和さん

profile
勝俣州和(かつまたくにかず)
1965年生まれ。静岡県出身。7人兄弟の長男。「劇男一世風靡」を経て、萩本欽一さん率いる欽ちゃんファミリーの一員として活動。その後、アイドルグループ「CHA-CHA」のメンバーとして活躍。現在はタレントとして多くのテレビ番組に出演する。

「住まい選びで一番重視するのは、周囲の環境」という勝俣州和さん。中でも、公園は必須。一度、公園の近くに住んで以来、その心地よさから離れられなくなってしまったそうです。そんな勝俣さんの暮らしのこだわりやエピソードを伺いました。

11人の大家族。子どもの頃はマジメな優等生

勝俣州和さんの写真1
子どもの頃を思い出す勝俣州和さん

実家は静岡県御殿場市なのですが、家の窓を開けると目の前に富士山が見えました。富士山がすっきり澄んでいれば「今日は、一日天気がいいな」とか、雲がかかっていれば「今日は雨が降るな」と、富士山でその日の天気を確認するのが日課。富士山は暮らしの一部でした。
僕は7人兄弟で、祖父母も一緒に暮らしていたので11人の大家族でした。子どもが多い家は「掃除や洗濯が行き届かないんじゃないか」と思われることがありますが、我が家は一切そんなことはなく、いつもきれいに片づいていました。父が「子どもに食べさせるものに、手を抜いてはいけない」という考えでしたから、食事も7人兄弟でおかずが少ないとか、量が足りないなどということは一度もありませんでした。父は自宅で衣料品店を営む自営業でしたから、収入には波があったと思いますし、実際11人家族ですから、それなりに大変だったと思います。でも、それを僕たちに感じさせることはありませんでした。それだけ、父と母が努力をしていて、やりくりに長けていたのだと思いますね。
朝晩の食事は、11人そろって居酒屋のような長いテーブルを囲みました。賑やかで楽しかったですよ。僕の父はとにかく話がうまくて、子どもたちそれぞれに話題を振っては突っ込んで、笑いを起こす。まるで大御所の芸人さんのようでした。いや、それ以上かな。父が芸能界にいたら売れっ子になっていましたよ、間違いなく(笑)。
そうやって父が話を盛り上げてくれるので、僕は逆におとなしかったんです。それに、長男でしたから、弟や妹のお手本にならねばという思いもあり、マジメな子どもでした。小中高とずっと学級委員長でしたし、宿題もちゃんとやっていましたね。今の僕からは想像し難いかもしれませんが(笑)、家族の中で一番、おもしろみがなかったんじゃないかな。

公園近くの物件へ引っ越し。芝生で寝転がるのが日課

勝俣州和さんの写真2
上京後の生活を振り返る勝俣州和さん

大学入学を機に上京し、最初は小田急線の経堂駅近くのマンションに住みました。当時はどんなところを見て物件を選ぶべきかなど、何もわかっていませんでしたから、取りあえず、通学がラクだな、程度の気持ちで決めてしまったんです。しかしいざ住んでみると、まったく日が当たらなくて気分も暗くなりそうでした。
上京したてのときに様子を見に来た母は、部屋の環境はもちろん、東京の人の多さにも驚き、「田舎で育ったうちの子が、こんなところで暮らせるわけがない。きっとすぐに静岡に戻ってくるに違いない」と確信したそうです。母自身も、そのとき東京に3日間滞在する予定でしたが、ギブアップして日帰りしてしまったくらいですから。
次に住んだのは世田谷の砧公園近くの物件で、古いアパートでしたが、隣に親切な大家さんが住んでいたので東京に不慣れな僕には心強かったですね。そして、なんといっても、近くに公園があることが本当に心地よかった。東京にいると、日常で季節の移ろいを感じることは少ないじゃないですか。でも、公園が近いと春になれば桜が咲いて、秋になれば紅葉して、いつも鳥のさえずりが聞こえて…。田舎では当たり前ですが、東京でそれを肌で感じられる場所は貴重だと思います。夏はよく、海パン姿で公園の芝生に寝転がって日向ぼっこしていました。芝生の香りが好きで、気持ちよかったですね。
実家では大家族でしたから、上京したてのころは「一人暮らしっていうのはつまらないものだな」と、つくづく思っていました。そのつまらなさから脱出するためには、まわりの人たちと仲良くならないといけないと思いました。だから、大学の友人や先生はもちろん、商店街のおじさん、おばさんとも積極的に話をするようになりました。実家ではおとなしいタイプだったので、実はおしゃべりに自信はなかったんです。でも、いざ話をしてみると自分がけっこう、おもしろくしゃべれるってことに気づきました。これが、タレントとして活動している今の自分の原点なのかもしれません。自分のトーク力を知って「おやじの血を引いているな」って思いましたね(笑)。

富士山が見え、アゲハチョウも飛んでくる快適な家

勝俣州和さんの写真3
現在の住まいを話す勝俣州和さん

砧公園の近くに住んでからというもの、その環境が心地よすぎて、公園の近くから離れられなくなってしまったんです。なので、その後の引っ越しも「公園が近い」ということが条件。あとは商店街があって、人が温かい街であることですね。
独身のときはずっと賃貸でしたが、結婚後程なく一軒家を購入しました。当時はまだ、購入を考えていなかったのですが、師匠である萩本欽一さんに「すぐに買いなさい」って言われたんです。芸能界は浮き沈みがある仕事じゃないですか。だから、沈んでいるときに家賃を払うのはしんどいし、そのしんどさが顔に出てテレビを観ている人に伝わってしまう、と。そう言われて探し始めたら、すぐにいい物件が見つかりました。場所はサザエさんの街としても知られている世田谷区の桜新町で、本当にサザエさんがいそうな温かい街でした。家は通学路に面していたので、毎朝「かっちゃん、おはよう!!」って子どもたちが叫ぶんです。それに応えるのが日課でしたが、なんか、そういう交流も悪くないなって思える街でした。
その後、二人目の子どもが生まれたこともあり、現在の住まいに引っ越しました。この家に決めた理由のひとつは富士山が見えること。富士山は自分にとって特別な存在ですから、見えたときは嬉しかったですね。
家の壁は漆喰なのですが、これが夏は熱を逃がし冬は保温してくれる優れもの。夏は冷房をつけずに寝られるほどなんです。この土地には井戸を埋戻した場所もあったので、だったら井戸を再度掘り起こして活用しようということになり、床の下に水が流れるパイプを引いてもらいました。パイプには夏は冷たい水が、冬はお湯が流れる仕組みになっています。だから、床がいつも快適な温度で、昼寝の時間が増えてしまいました(笑)。
僕のこだわりの場所はベランダ。そこで、本を読んだりする時間が好きですね。最近は庭の芝生に小学3年生の息子と僕で恐竜のおもちゃを並べ、ジュラシックパークのようにして楽しんでいます(笑)。
妻はガーデニングが好きなので、マメに庭の手入れをしています。レモンの木があって、そこに毎年、アゲハチョウが飛んでくるんですよ。アゲハチョウが集まる家なんて、なかなかないでしょ。なんか嬉しくなりますよね。庭にはかわいい野良猫もよく寝ているし、なんか東京っぽくなくて、いいなって思うんですよね。

こぼれ話

写真は、勝俣さんがジュラシックパークと呼ぶ、庭の芝生の光景。
「恐竜好きの息子がおもちゃを持ってくるので、庭の芝生の上に一緒に並べました。恐竜の配置は、戦国の陣形をイメージしているらしく、息子なりのストーリーがあるようです」

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