Vol_48 池上季実子さん

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Vol.48 池上季実子さん

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インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼ 各界でご活躍の方々に、家、住まいに、住み替えにまつわるお話を伺いました。インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼

Vol.48 2016/5/24更新

そのときの生き方に合わせ、自由に住み替える。これまでもこれからも、それが私のスタイル 池上季実子さん

そのときの生き方に合わせ、自由に住み替える。これまでもこれからも、それが私のスタイル池上季実子さん

profile
池上季実子(いけがみきみこ)
1959年米・ニューヨーク州生まれ。3歳で帰国し、小学校卒業まで京都に住んだのちに上京。74年にテレビドラマ『まぼろしのペンフレンド』でデビュー。84年『陽暉楼』にて第7回日本アカデミー賞主演女優賞を受賞、89年『華の乱』にて第12回日本アカデミー賞助演女優賞を受賞。祖父は歌舞伎役者で人間国宝の故八代目坂東三津五郎氏。

小学校卒業後に上京して以来、13回もの引っ越しを重ねているという池上季実子さん。同じ場所に根を張って住み続けるという選択肢はないそうですが、その根底には、自分らしく暮らすためのこだわりや考えがあるようです。そんな池上さんの引っ越し遍歴や住まいに対する考え方をうかがいました。

ニューヨークから京都へ。広い日本家屋で暮らした子ども時代

池上季実子さんの写真1
子どものころを思い出す池上季実子さん

商社に勤務していた父の仕事の関係で、私は3歳までニューヨークのマンハッタンで過ごしました。でも、その頃のことはまったく覚えていません。物心ついたときには京都で暮らしていて、記憶があるのもそこからです。
ニューヨークから帰国すると、両親と私と弟は歌舞伎役者だった祖父の家で暮らしました。場所は京都大学のすぐそばで、節分祭で有名な吉田神社の目と鼻の先です。家には3つ庭があったことをよく覚えていますね。門をくぐるとまず小さい庭と茶室があり、その先にはししおどしの音が響く庭園。さらにその奥には玉砂利が敷き詰められた庭園がありました。
家の中は、玄関をあがると長い廊下が続いていました。茶室や踊りの稽古にも使われていた20畳ほどの和室もあり、とても広い家でした。それから井戸もあったので、夏はその井戸水でキンキンに冷やしたトマトやキュウリが私や弟のおやつ。直前まで太陽の光をたっぷり浴びて熟れた、もぎたての野菜は色鮮やかで味も格別でした。今でもあれ以上に美味しい野菜を食べたことはありません。
3歳のときに帰国して以来、ニューヨークを初めて訪れたのは20歳のときで、テレビ番組のロケで行きました。そのとき、ケネディ国際空港を降りた途端に感じた新聞のインクのような匂いや、街中のマンホールの湯気の匂いに「あー、懐かしい」と思ったのです。アメリカでの暮らしはまったく記憶にないのですが、嗅覚だけは覚えていたようです。不思議な気分でしたね。

上京後は都内を転々と移動。13回の引っ越しを経験

池上季実子さんの写真2
上京後の暮らしを語る池上季実子さん

小学校卒業までは京都で過ごしましたが、両親が離婚をしたため、母と私と弟は上京をすることになりました。東京で最初に住んだのは、2DKのマンション。部屋はわりとこじんまりしていたのですが、とても広いベランダがあり大学のグラウンドが望めました。でも、この頃の家の思い出はあまりないのです。というのも、家庭環境も学校も突然ガラッと変わったので、その状況を受け入れるだけで精いっぱい。部屋にこだわるとか、落ち着いて暮らした記憶はほとんどありません。それでも、今もこのマンションの前を車で通ると懐かしい気持ちになります。
そこに2年ほど住んだのち、私が14歳のときに別のマンションに引っ越しました。芸能界に入ったのも、この頃です。当時私は、兄のように慕っていた従兄の故五代目坂東八十助(のちの十代目坂東三津五郎)の家にしょっちゅう遊びに行っていて、ほぼ居候状態。母も甥の所であれば安心ですから、自由に行き来させてくれたのです。
八十助は、この頃すでにNHKの少年ドラマシリーズに出演していました。その収録をスタジオに見に行ったときにスカウトをしていただき、私も芸能界に入ることになりました。
女優としてドラマや映画の仕事をさせていただきながら、しばらくは実家で暮らし、20歳のときに一人暮らしを始めました。最初に住んだのは、目黒区にあったテラスハウスでした。この家は半地下に収納スペースがあり、そこに荷物や洋服を入れていたらカビだらけになってしまいました。そのためそこを出て、別のマンションに住んだのですが、今度は交通の便があまりよくなくて引っ越しました。その後、結婚と離婚も経て今に至るまで、数えてみたら都内を転々と13回も住み替えをしています。

住まいに縛られない。自分の生活に合わせて住む場所を変える。

池上季実子さんの写真3
家について考えを話す池上季実子さん

部屋選びのこだわりはあまりありませんが、ひとつ譲れない条件があります。それは愛用の「水屋箪笥(みずやだんす)」が部屋に入ること。水屋箪笥はいわゆる食器棚ですが、私のそれは間口3メートルあるので、置く場所はもちろん、物理的に部屋の中まで運び込めない可能性も高いのです。
この水屋箪笥は23歳のときに手に入れたもの。私は祖父の影響もあって昔から古美術が好きで、ある日突然、水屋箪笥が夢に出てきたのです。それが気になって、気になって、頭から離れなくなりました。きっと同じものがどこかにあるはずと、何軒も古美術店を巡ったけれど見つからず。そんなとき、知り合いが滋賀県の古美術店にあるのではないかと連れて行ってくれました。そこには、300本近くの水屋箪笥がずらっと並んでいたのですが、その一番奥の仕切られた場所に、まさに夢と同じものがありました。運命的な出会いに、もう大興奮。最初は「売り物ではないから」と断られたのですが、どうしても諦めきれず頼み込んで譲ってもらったのです。ものに執着するほうではないのですが、これだけは特別。私の大事な、大事な宝物です。
我が家のインテリアはこの水屋箪笥やケヤキの階段箪笥などの、古美術が中心です。だから引っ越しをして場所が変わっても、雰囲気はあまり変わりません。私にとっては一番落ち着くのですが、子どもは流行の北欧風などに憧れるようで、「ママのインテリアはいつも同じでつまらない」と、よく文句を言われていました(笑)。
そんな我が子も数年前に結婚をして家を出ました。これまではどうしても、子どもの通学の都合などを優先して住まいを選んでいましたが、彼女が独立してからはもう私の自由。「私が住みたい場所に住もう!」と決めて11度目の引っ越しをしました。その後、二度住み替えて今が13軒目の住まいです。
13軒ともすべて賃貸物件です。周りからは「買った方がいい」と言われ続けてきましたが、私自身は家を所有することに興味がありませんでした。住まいは自分の生活の拠点ですからとても大切なのですが、いつからか「住まいに縛られたくない」と思うようになりました。住まいに暮らしを合わせるのでなく、そのときの生活や年齢に合わせて住まいを変えていきたい。これまでも、そしてこれからもそれが私のスタイルだと思うのです。
だから今後もまた引っ越しをするでしょうね。年齢を重ねてきた今、もっと荷物を減らしてコンパクトな部屋で生活をするのも悪くないと思っています。でも、このままずっと一人暮らしとも限らないですよね。母と同居することになるかもしれないし、もしかしたら私が嫁に行くかもしれないし(笑)。生活はどう変わるかわからないですから、状況に合わせてベストな家に住み替えればいいんじゃないかな?と、考えています。

こぼれ話

写真は、池上さんが大切にしている水屋箪笥。「水屋とは水を使う場所、つまり台所の古称で、その箪笥なので今でいう食器棚のことです。これは、総ケヤキ材でできていて、引き戸はケヤキと竹です。たくさんある水屋箪笥の中でも、大変珍しい一品なのです。23歳のときから、もう30年以上そばにある大事な家具。これがないと落ち着きません」

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