Vol.30 福田正博さん

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Vol.30 福田正博さん

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インタビュー 私のいえ 〜すまいの履歴書〜 各界でご活躍の方々に、家、住まいに、住み替えにまつわるお話を伺いました。インタビュー 私のいえ 〜すまいの履歴書〜

Vol.30 2014/11/18更新

『環境も自分たちも変化することを
見据えて家を建てることが大切なのだと思います。』 福田正博さん

『環境も自分たちも変化することを
見据えて家を建てることが大切なのだと思います。』福田正博さん

profile
福田正博(ふくだまさひろ)
1966年神奈川県生まれ。中央大学卒業後、89年に三菱重工サッカー部 (現・浦和レッドダイヤモンズ)に入団。95年のJリーグでは50試合で32ゴールを挙げ、日本人初のJリーグ得点王に輝く。2002年に現役を引退後は日本サッカー協会のJFAアンバサダーに就任し普及活動をサポート。現在はサッカー解説者としても活躍。

これまでの住まい選びは、憧れや見た目だけで 選んでしまった結果、失敗もあったという福田正博さん。 しかし、その失敗があったからこそ、 学んだことや気づいたことも多いそうです。 子供のころの暮らしから、寮生活、 現在の住まいのこだわりもうかがいました。

小学校5年生のときに引っ越し。自分の部屋とベッドがある憧れの暮らしに

福田正博さんの写真1
子供のころについて話す福田正博さん

生まれは神奈川県横浜市です。小学校5年生のときに同じ神奈川県の茅ヶ崎市に引っ越しました。今でもよく覚えていますが、横浜での暮らしは市営の借家で、3部屋しかありませんでした。両親、姉、私の4人で暮らすには狭く、快適とは言いがたい家でしたが、近所にたくさんの友達がいて一緒に野球をしたり、虫捕りをしたり、夏祭りに行ったりと、とにかく楽しく遊んだ思い出があります。だから、茅ヶ崎への引っ越しが決まったときは仲間と離れるのが淋しくて憂鬱でしたね。ただ、その一方で庭もある一軒家に住めること、自分の部屋ができることなど、新しい生活への期待もありました。
引っ越した家では、私と姉は、それぞれ個別の部屋にしてもらいました。何よりも嬉しかったのが憧れのベッドを買ってもらったこと。ベッドは、部屋の中でも特に自分だけの場所という気がするんです。それまで布団を敷いて寝ていたので、本当に嬉しかった。姉がおねだりしてくれたおかげで犬を飼うことにもなりました。自分の部屋があって、ベッドがあって、犬を飼っている。その3つが揃った生活は、当時の私にとってまさに憧れ。夢が一気に叶った感じでした(笑)。
それから、サッカーを始めたのも茅ヶ崎に移ってからです。横浜に住んでいたころは野球をやっていたので、その引っ越しがサッカーを始めるきっかけになったともいえるかもしれません。自分の部屋の天井や壁には、好きなサッカー選手のポスターをたくさん貼っていましたね。

大学の寮生活も慣れれば快適に。初めての賃貸選びでは失敗も

福田正博さんの写真2
大学時代を振り返る福田正博さん

高校卒業後は中央大学へ入学。サッカー部員は寮生活が必須なので、実家を出て寮に入りました。1年生から4年生までの各1人ずつがいる4人部屋で、左右の壁に1台ずつ2段ベッドが設置されていて、その奥にはロッカーと勉強机が並んだ縦長の部屋でした。もちろんテレビなどはありませんし、実家から持ってきた荷物は勉強とトレーニングに必要なものだけです。ベッドの上だけは自分専用ですが、薄いカーテンで仕切られているだけなので、とてもプライベートな空間とはいえません。自分の部屋があった実家の生活とのギャップが大きくて、最初は辛かったですね。
週末は実家へ帰ることが許可されていたので、1年生のころは毎週のように帰省していました。1人で部屋にいる時間が欲しかったことはもちろんですが、下級生は先輩にこき使われますから(笑)週末でも気を抜けません。だから、少しでも寮を離れたかったんです。でも、自分が上級生になると寮生活にも慣れてきて、たまに帰る実家よりも居心地が良くなってくるんです。次第に実家に帰ることも少なくなりました。“住めば都”と言いますが慣れれば快適なものですね。
大学卒業後は浦和レッズの前身である三菱重工のサッカー部に入りました。そこでも寮生活でしたが、大学とは違って1人部屋なので共同生活のストレスはありませんでしたね。その後、三菱重工サッカー部がプロサッカーリーグに参加することになり、それに伴って私も退社。寮を出たもののまだチームの拠点が決まっていなかったため、ひとまず都内で賃貸を探すことになったのですが、初めての物件選びはいろいろと失敗がありました(笑)。都心で駅が近く、ドラマに出てくるようなフローリングのワンルームに憧れていたんです。そんな条件に当てはまる、新築できれいなマンションを見つけてそこに決めたのですが...。見た目は良かったものの、いざ住んでみると目の前には大きな環状道路と高速道路が通っていたため騒音や排気ガスがひどく、窓もほとんど開けられませんでした。また駅が近かったことが裏目に出て電車が通るたびに建物も揺れ、気が休まりません。部屋は見た目や憧れだけではなく、環境や自分の生活スタイルに合っているかを良く考えて選ばなくてはいけないんだと勉強になりました。

見た目や目先のことだけにとらわれず、実用性や将来を考慮することも大切

福田正博さんの写真3
家のこだわりについて話す福田正博さん

チームが浦和市(現・さいたま市)に拠点を置くことに決まると、私も浦和へ移りました。当時はまだマンションが少なかったため選択肢がほとんどなかったのですが、最終的に選んだ物件は環境も間取りも良く何の不満もない部屋でした。最初は1人暮らしでしたが、1年ほどしてから結婚し、その後長女も誕生しました。そして5年ほど経ったころ、そのマンションが分譲になるため賃貸で借りられなくなってしまったんです。気に入っていたので購入も検討しましたが、買うならば一軒家という考えもあり、新しく土地を探して家を建てることにしました。
家を建てるうえで最もこだわったのは、セキュリティです。遠征で家を空けることが多いうえ、自分が家にいないことが分かってしまう職業なので、その点ではかなり慎重になりました。また、毎日家族が顔を合わせて自然とコミュニケーションを取れる環境にしたかったので、外から帰って来たらどの部屋に行くにも必ずリビングを通る設計にしました。子供は3人いるので、この設計にして正解だったなと思っています。
逆に後悔している点もあります。見た目を重視して、エアコンは壁埋め込み型にしました。エアコンはそう壊れるものではないので、取り替えることなんてないだろうと思っていたんです。ところが10年以上使えば当然、故障もします。埋め込んでしまったため、結局、工事のときに壁に穴を開ける始末。また、家電も家具も当時の最新モデルがきれいに収まるように設計したものの、デザインや機能はどんどん変わっていきますから買い替えると意味がなくなってしまったんです。 それから、本当はスタイリッシュで生活感のないリビングが理想なんですが、子供が3人いるとそうはいきません。今ではリビングに3つの机があり、まるで子供部屋のよう。生活感に溢れていておしゃれとはほど遠いです(笑)。でも、ひと気がないのも嫌ですからこれはこれでいいのかな。
家を建てて分かったのは、常に環境も物も変化をしているということ。そのときは最新でも10年経てば古いものになってしまう。そして、自分も子供たちも家も年を取っていくのだから、それを見据えて建てることが大切なのだと感じました。「家は3回建て替えて初めて満足ができる」とよく言いますが、確かに生活スタイルの変化や子供の成長に合わせていくと、3回は建て替えないと理想に追いつかないのかもしれませんね。

こぼれ話

埼玉スタジアム2002では子供たちを対象としたスクールを開校。そのスクール長として、子供たちの指導にもあたっている福田さん。サッカーのスキルアップはもちろん、上達することの楽しさ、努力や夢を持つことの大切さも伝えています。また、日本各地でもサッカー教室のイベントを開催したり、講演を行うなど幅広く活動されています。

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