Vol.37 峰竜太さん

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Vol.37 峰竜太さん

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インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼ 各界でご活躍の方々に、家、住まいに、住み替えにまつわるお話を伺いました。インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼

Vol.37 2015/6/16更新

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『峰竜太さん

profile
峰竜太(みねりゅうた)
1952年長野県生まれ。高校を卒業後上京し、モデル事務所に所属。その後、俳優の道に進み、ドラマ『西部警察』(テレビ朝日系)など多数出演。ドラマでの共演をきっかけに、女優・海老名美どりさんと結婚。現在は、俳優、バラエティ番組、司会業などで幅広く活躍。

峰竜太さんのお住まいは、 まるで潜水艦を思わせるような外観。 屋内プールやバーカウンターがあり、 屋上は一面芝生になった大豪邸。 インパクトあるこの家を 建てることになった経緯やこだわりはもちろん、 ご実家での暮らしもうかがいました。

長野の田舎で過ごした子ども時代。酒屋と農作業を手伝う生活は人生の肥やしに

峰竜太さんの写真1
子どものころを思い出す峰竜太さん

18歳で上京するまでは、長野県の下條村で育ちました。実家は小さな酒屋を営んでいたので、子どものころは学校から帰ると、自転車で酒の配達に行きました。農業もしていましたから田植えや稲刈りも、もちろん手伝いました。農村の小中学校には当時「農繁休業」というのがあり、忙しい時期は手伝いをするために学校が休みになりました。そのくらい農業を手伝うのは当たり前で、田舎の子どもたちはみんなよく働いていましたね。大人になってみると、都会で生まれ育っていたらできないその経験は、強みになったと思います。酒屋の手伝いも農作業も、全部、人生の良い肥やしになっています。
我が家は店もあって畑の作業もあってと、父と母は忙しく、ほとんど休みがありませんでした。早朝から働き、寝るのも遅いので、実家にいたころは親の寝顔を見たことがありません。私は男4人兄弟の末っ子ですが、私も兄たちもそんな両親の背中を見て育ったので、自然と自立心が備わったと思います。
実家は部屋数も多く広い家です。玄関を上がると八畳の和室が三つ連なっていて、襖を取り払うと広間になります。
本家ということもあり、昔はよくそこで親戚の結婚式をしていました。部屋は松の間、竹の間、梅の間と名付けられていて、障子や襖にはそれぞれ松竹梅の絵柄が描かれていました。縁側や庭もあり、勉強はほとんどしませんでしたが(笑)勉強部屋もありました。と言うと都会の人にはすごいように思えるかもしれませんが、隣近所もこんな感じです。田舎の家って広いんです。
店番があったので、家族そろって食事をするということはほとんどなかったのですが、大みそかだけは全員が集まることができました。大きなこたつがある部屋にご馳走を並べてみんなで食べる。それが、一年で唯一の家族団らんでしたね。

憧れの芸能界を目指し上京。狭いアパート生活でも、不便さは感じず

峰竜太さんの写真2
上京したころの話をする峰竜太さん

下條村は「下條歌舞伎」という大衆芸能が受け継がれている村で、私の祖父や叔父、兄たちもみんな下條歌舞伎をやっていました。その影響も大きかったと思いますし、ちょうど小学校のころ家にテレビが来て、その世界にとても興味を持ち、俳優業に心ひかれました。役者への思いは強くなるばかりで、高校を卒業すると同時に上京することを決めました。
芸事に縁がある家柄もあって役者という仕事に理解があったからなのか、あるいはすでに兄が店を継いでいたので跡継ぎの心配がなかったからか、家族に引き止められるようなことはまったくなく「まぁ、頑張ってこい」と送り出してもらいました。
上京して1週間ほど高田馬場にいましたが、とりあえず食べるためにと、会社に就職して横浜の寮に入り、昼間は電柱に看板を取り付ける仕事をして、夜はタレントセンターに通うという生活を半年間ほど続けました。その後モデル事務所に入って東中野のアパートに引っ越しました。4畳半一間で風呂もありませんでしたが、東京の生活に憧れが強かったので、不便さはまったく感じませんでしたね。
モデルの仕事を少し続けたあと劇団に入り、俳優としてドラマに出るようになりました。住まいは東中野から高円寺、下高井戸と何度か引っ越しました。収入が上がるにつれて、部屋も少しずつステップアップしていったのですが、それでもずっと風呂なしでしたね。
そして、ドラマの共演が縁で23歳のときに結婚しました。結婚後はかみさんの実家が建てたアパートの一室を借りたり、かみさんの実家近くの賃貸マンションを転々としました。当時、住まいを決めるのは、すべてかみさんです。私のほうが稼ぎが少なったので、私は「いいよ」と頷くだけで。家のことは稼いでいるほうに、主導権はありますからね(笑)。

潜水艦のような家はプールが自慢。妻からの許可が出れば、田舎に家も建てたい

峰竜太さんの写真3
現在の住まいについて話す峰竜太さん

私の仕事も軌道にのってきたころ、ある日、海外ロケから帰ってくると、かみさんが神楽坂に土地を買っていたんです。ロケに行っている間に話が進んでいたので、聞いたときは腰が抜けそうでした(笑)。それで、初めて家を建てることになったんです。私は賃貸のときは、さほどこだわりはなかったのですが、自分の持ち家となれば別です。設計には細かいところまで意見を出しました。
その家には約10年、住みました。気に入っていたのですが、家の前の道がすごく狭く、車で来た人がみんな門にぶつかってしまうんです。それで、もっと駐車しやすいところがいい、ということで今の家に引っ越しを決めました。
今の住まいには、プールを造りました。かみさんが「海外に行かなくても、家でリゾート気分を味わいたい」というので、それを叶えたというわけです。外観はまるで潜水艦のようなのですが、自分たちの要望というよりは、プールを造りたいとか、以前の家で使っていた家具を入れたいとか、ある程度条件を伝えてデザインしていただいた結果なんです。最初は、私も驚きました。今となれば、住んでいる自分たちは、さほど個性的とも思わなくなったのですが、やはり他人が見るとインパクトがあるようで、わざわざニューヨーク・タイムズが家だけを取材にきたほどです。
2階にプールとバーカウンターがあり、リビングなどは3階にあります。屋上は一面芝生にしました。以前の家は駐車に苦労しましたから、今度は車の出入りのよさを追求した、秀逸な駐車場を造りました。ペット専用のスぺースも造ったのですが、うちの犬はあまりそこに行かず、かみさんにべったり。犬って一家の中で誰が一番権力を持っているか、分かっているんですよね(笑)。
もし、もう一度家を建てるとしたら田舎に建てたいですね。家自体はそれほど大きくなくていいので、広い庭と畑を作ってのんびり過ごしたいな、という気持ちはあります。でもね、うちのかみさんは田舎暮らしにまったく興味がないです。だから、許可は下りないでしょうね。

こぼれ話

写真は、峰さんのご自宅にあるプール。
「かみさんの希望で、自宅の2階にプールを造りました。“毎日リゾート気分”がコンセプト。
深さ1メートル、長さは15メールあり、温水なので一年中入れます。プール掃除は私の日課です。」

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