Vol.4 早見優さん
Vol.4 2012/9/26更新
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早見優(はやみゆう)
1966年生まれ。3歳から14歳までをグアム、ハワイで過ごす。上智大学比較文化学部卒業。14歳でスカウトされ、'82年「急いで!初恋」で歌手デビュー。その後は、国際感覚を生かし、テレビ、舞台などで活躍する一方、絵本の翻訳やエッセイの執筆なども手掛ける。96年に結婚し、現在は2女の母。
幼い頃から、数多くの引っ越しを体験してきたという早見さん。その経験から自然と良い物件を見抜く"勘"が身についたのだとか。そんな早見さんの住まいのこだわりとは。
祖母も母も引っ越し好き。数年に一度の移動が当たり前に

生まれは静岡県なのですが、3歳のころに祖母の仕事の関係でグアムへ、その後、7歳のときにはハワイへ引っ越しました。とにかく、祖母は引っ越しが大好き。グアムでもハワイでも、同じエリア内で、しょっちゅう、移動をしましたね。
その後、14歳のときにハワイでスカウトされ、デビューを機に日本に帰国。それからというもの、祖母の引っ越し好きのDNAを引き継いだ母が、マンションの契約更新時期が近づくたびに「次はここどう?」と間取り図面を開くというのが、お決まりになっていました。私にとって、数年に一度引っ越すのが恒例になっていたんですね。
当時、私の唯一のリクエストは「リビングを通らずに自分の部屋に行ける」こと。母は家に友だちを招くことが多く、高校生だったうえに仕事で遅くなる私としては、帰宅するたびにそこを通るのが嫌だったんです。とはいえ、そのリクエストに応えてもらったことは一度もなくて(笑)。でも、自分が母親の立場になり、ようやくその頃の母の気持ちがわかるようになりました。やはり、子どもが帰宅しても分からないような間取りでは、心配ですよね。
数多くの引っ越しを通して備わった、良い物件を見抜く“勘”

初めて一人暮らしをしたのは、20代の半ばのころ。それまでに何度も引っ越しを経験していましたが、自分で物件を探すというのは初めて。実は、20件以上見て回ったんです。
というのも、幼いころから祖母や母と幾度となく物件を見てきた経験から、自然と"勘"が身についていたみたいで(笑)。エレベーターに乗った瞬間や部屋に入った途端に"ここじゃない"って勘が働くというか。そうしているうちに、たくさんの件数を回ることになりました。
でも、その甲斐あってか、最終的に辿りついた部屋というのは、とても住み心地がよく大好きな場所になりました。間取りももちろんですが、キッチンがお気に入りで、料理をすることがとても好きになったのを覚えています。結局、結婚を機に引っ越すまで、ずっとそこに住んでいたので、私にとってはそこが最初で最後の一人暮らしの空間でしたね。
自宅にいるときのほとんどはここで。こだわりのキッチンは、大好きな場所

結婚してから5年ほど経ったときに、もともと主人が住んでいた家を建て直したのが、今の住まいです。「一から建てる」というのは初めてのことだから、ドアの高さがどれくらいなんて見当もつかない。その頃はいつもメジャーを持ち歩いて、友達の家に行ってはあちこち測っていました(笑)。
特に、私が一番こだわったのはキッチン。今でこそ、アイランドキッチンは主流ですが、当時はまだ馴染みがなく、サンプルもなかったので、アメリカに住んでいた主人の母の家に行った際にキッチンの写真を撮って、それをもとに業者の方と相談しましたね。
そんな風にこだわったキッチンは、もちろん今も大好きな空間。家族が集まるスペースと隣接していることもあって、自宅にいるときのほとんどをそこで過ごします。
料理をするときはもちろんですが、友人が遊びにきたときにお茶をしたり、子どもたちが宿題をする場所にもなっています。リフォームをすることになっても、今のキッチンはそのまま残したいほど、お気に入りです。
デビュー当時は学校と仕事の両立で、本当に忙しい毎日。仕事で遠方に行くことも多かったので、家に帰ることが何よりも嬉しかったのを覚えています。その頃ももちろんそうですが、今もやはり、一番ほっとする場所は「家」ですね。
衣装:ESCADA
こぼれ話
早見さんが「我が家の中心的スペース」と話す、アイランドカウンター。平日の夕方は、お子さんたちがここで宿題をするのが日課なのだとか。
また、親しい友人を招き、ホームパーティをすることもよくあるそうです。「友だちが遊びにきたときも、集合するスペースはここ。私が料理をしている周りにみんなが集まり、お酒を飲んだり、おつまみをつまんだりしながら、おしゃべりするのが楽しいんです」と早見さん。
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