Vol.61 西川貴教さん
Vol.61 2022/8/24更新
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西川貴教(にしかわ・たかのり)
1970年9月19日生まれ。滋賀県出身。1996年5月、ソロプロジェクト「T.M.Revolution」としてシングル「独裁 -monopolize-」でデビュー。「HIGH PRESSURE」「HOT LIMIT」「INVOKE」などヒット曲多数。2018年からは西川貴教名義での音楽活動を本格的に開始。俳優や各種MCなど多彩な活躍を見せる。2008年からは「滋賀ふるさと観光大使」を務め大型野外ロックフェス「イナズマロック フェス」を主催。令和二年度滋賀県文化功労賞受賞。
滋賀、大阪、東京と生活の変化とともに住む地域も変わりましたが、実は「引っ越しがあまり好きではない」という西川貴教さん。土地や環境が気に入れば同じ場所に長く住むタイプとのことですが、それは「どこに住むか」よりも「どう暮らすか」を大切にしているからのようです。これまで住んだ家とそれぞれの暮らし方について、お話を伺いました。
我が家のように過ごした、大好きな祖父の家はかけがえのない思い出

生まれは滋賀県彦根市ですが、4歳頃に野洲市に引っ越しました。交番勤務の警察官だった祖父の転勤に合わせて、わが家も近くに引っ越したんです。共働きで忙しかった両親の代わりに祖父母が僕ら3人きょうだいの面倒をみてくれていましたから、近くに住むほうが都合がよかったのでしょう。頻繁に通っていた祖父母の家には叔父も同居していて、家が2つある大家族で暮らしているような感覚でした。
ずっと借家だったのですが、子どもの成長とともに手狭になったようで、小学3年生くらいの時に両親が庭付きの一戸建てを購入し、「子ども部屋」ができました。年子の妹と同じ部屋でしたが、二段ベッドを置いて学習机を並べ、自分たち専用の空間ができてうれしかったですね。
そうは言いつつも、僕は祖父と一緒にいるのが大好きなおじいちゃん子で、週末は祖父母の家で過ごしていました。平日も祖父宅で母の帰りを待ったり、両親が仕事で忙しかったので、代わりに祖父がいつも一緒にいてくれました。
祖父は僕にとってスーパーマンみたいな人。剣道の腕が立ち、手先が器用で、ナイフを巧妙に使いこなして竹とんぼを作ってくれたりもしました。警察犬を引退したシェパードを飼っていて、散歩について行くのも楽しかったですね。元警察犬ですから「待て」「座れ」など、あらゆるコマンドをきちんとこなせるし、そんなふうに愛犬と関わる祖父の姿が格好良くて。祖父に褒められたくて剣道教室に通ったくらい、本当におじいちゃんが大好きでした。
その祖父が小学5年生の時に大病で亡くなってしまったんです。心の中にも生活にも、ぽっかりと穴が開いたように感じて、1人でいる時間がすごく増えました。土曜日の午後はいつも祖父の家で過ごしていたのですが、部屋にこもってFMラジオを聞きながら時間をつぶすようになり…。それが音楽に興味を持つきっかけと言えるかもしれませんね。
プロを目指して家賃4万円のマンションで大阪一人暮らしがスタート

中学生になると、友達とバンド活動を始めました。いつも一緒に遊んでいた仲間たちから「ギターをやりたい!」「うちにドラムセットがあるよ」などと声が上がり、バンドが形になっていったんですが、楽器を持っていない僕は、ただ傍で聞いていただけ。でも、そのうち「一緒にやろうよ、歌やってよ」と声がかかり、歌なら楽器を買う必要もないからいいか、と軽い気持ちで引き受けました。そんな遊びの延長のようなバンドでしたが、やっと心の中を埋めてくれるものができたんです。実は、祖父を亡くしてからバンドを始めるまでの記憶が曖昧で、ぼんやりとしか残っていないんですよ。それぐらい大きな喪失感を抱えていましたが、音楽と出合ったことで、ずいぶん救われました。
高校生になって行動範囲が広がると、他校の生徒にも自分のバンドを見てもらえるようになり、だんだんと人気も出てきた。子どもの頃は祖父に褒められたくて勉強や剣道をがんばっていましたが、バンドを始めてからは「自分たちの音楽を聞きたいと思ってくれる人」の存在が原動力になり、どんどん音楽にのめり込んでいきましたね。
ただ、家では一度も練習したことがないんです。その頃にはもう自室があったので、練習しようと思えばできたのですが、バンドをやっていることを家族に言い出せなくて。田舎でしたし、当時はなんだか悪いことをしているような感覚だったんですよね。
だから、18歳ころに「音楽の道に進みたい」と打ち明けた時、両親は相当びっくりしていましたし、当然ですが反対もされました。それでも「どうしてもやりたい。生活費はアルバイトで稼ぐから」と押し切って、大阪で一人暮らしをすることになりました。実家を離れて初めて住んだのは、学生が多い東大阪の街。自分の足で不動産屋さんを回り、条件に合った物件を見つけました。駅から近い1Kのマンションで、近所にバンドのメンバーが住んでいて心強いし、アルバイトに通いやすく快速が止まる駅。家賃は4万円だったかな。車の免許を取ろうと貯めていたお金で家財道具をそろえました。自分で買ったミニコンポで初めてCDを聞いた時は、なんだか感動して部屋で一人、音楽に聞き入ってしまいました。
デビューしてからは、仕事に合わせて引っ越し。住まいへのマニアックなこだわり

大阪でのバンド活動が、プロダクションやレコード会社の方の目に止まり、20歳でデビューすることになり上京しました。当時、東京のバンドマンは中央線沿線に住んでいる人が多くて、僕も最初に住んだのは中野。でも、メジャーデビューを果たしたものの、自分としては行き詰まりを感じるようになり早々にバンドを脱退したんです。それからしばらくは、自分で作った曲をいろんな方に聞いてもらう活動を続け、そうするうちにさまざまなご縁ができて、25歳で再デビューしないかというお話をいただいた。それが、T.M.Revolutionというプロジェクトです。
再デビューしたタイミングで、当時の事務所に通いやすい、駒沢オリンピック公園の近くに引っ越しました。このあたりは雰囲気や環境が気に入って、結構長く住みましたね。あまり引っ越しが好きではなくて、同じ街にずっと住むタイプなんです。家を選ぶ時、特別にこだわりはないと思っていたのですが、振り返ってみると部屋に出っ張りがあるのが好みじゃないので、エアコンがビルトイン式かどうかをチェックしていたんですよね。あとは、扉がバタン!と閉まらないようにガスダンパーも気になりますね。それから、喉をケアするために室内の保湿とか…。こだわりがないと言いつつ、意外とマニアックな部分を見ているかもしれない(笑)。
設計に関わったこともあり、居住空間を作り上げることは嫌いじゃありません。業者さんと相談しながら、クロスをどうするか、保湿のための珪藻土の塗り方をどうするか、など決めていく過程は楽しいですね。インテリアというよりは、居心地の良さを大切にしています。
音楽を志した時は、「二度と帰らない」というくらいの気持ちで地元を後にしましたが、ありがたいことに2008年から滋賀ふるさと観光大使を務めさせていただき、15年近く東京と滋賀を行ったり来たりの生活です。毎年9月に開催する「イナズマロックフェス」の準備が始まると、週の半分は地元にいますが、ホテルに滞在しています。実家の敷地には今、妹が新たに家を建てたので、いわゆる「実家」と呼べる家がないんですよね。でも、地元に帰るのは、ゆっくりするために帰るのではなく、仕事のためですから、今はホテルに滞在するのがベストかなと思っています。
何年か前に大阪でドラマ、京都で映画の制作が重なったことがあり、撮影の間だけ大阪にマンションを借りた時期がありました。僕にとって東京はすごく居心地が良い街なんですが、久しぶりに大阪で暮らしてみたら、初めて一人暮らしをした時とは見える景色がずいぶん違いました。大阪は都会のど真ん中に大きな川が流れていて、中洲の周りに小さなカフェがあったりして、すごくいいなと思ったんです。琵琶湖の近くで育ったせいか、生活空間に水を感じることが心地よくて。川のほとりを愛犬と散歩するだけでも、ずいぶんとリフレッシュできました。今はまだ考えていませんが、この先、家を買うことがあるとしたら、水を感じられる場所で暮らしたいなと思っています。それが湖なのか、川なのか、海なのか、まだイメージは全くないのですが、東京と大阪が新幹線で2時間半と考えると、どこを拠点にしてもよさそうですよね。滋賀もいいところですよ。決して都会じゃないんですが、自然豊かな景色が楽しめて、何気ない日常の風景が心にゆとりを持たせてくれるように思います。
こぼれ話
西川貴教ライブツアー開催 TAKANORI NISHIKAWA LIVE TOUR 002「SINGularity Ⅱ -過形成のprotoCOL-」
詳細はこちら→ https://www.takanorinishikawa.com
T.M.Revolution 47都道府県ライブツアー開催中!!
詳細はこちら→ https://tmrv.net
西川貴教 2nd Album「SINGularity Ⅱ -過形成のprotoCOL-」(Epic Record Japan)発売中
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