Vol.69 榊原郁恵さん
Vol.69 2024/12/09更新
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榊原郁恵(さかきばら・いくえ)
1959年生まれ、神奈川県出身。「第1回ホリプロタレントスカウトキャラバン」で優勝し、1977年1月1日デビュー。「夏のお嬢さん」が記録的なヒットとなり、アイドルとしての地位を確立。ドラマやCM、舞台でも活躍し、1981年から、ブロードウェイミュージカル『ピーターパン』で、7年間、初代ピーターパンとして座長を務める。夫は俳優の渡辺徹さん。2021年「ベスト・オブ・パートナー2021」受賞。
※「榊」は正しくは”木へんに神”と表記します
デビュー当時から仕事が忙しく、独身時代は「家=寝に帰る場所」だったという榊原郁恵さん。結婚して家庭を持つと、日々の暮らしを意識するようになったそうです。「生活すること」を中心に考え、家づくりをされてきたご経験についてお聞きしました。
期待通りにならなかった家探し。
家庭を持って「住めば都」を実感

生まれた当時は神奈川県川崎市に住んでいました。家族で暮らしていた社宅で、助産師さんが私を取り上げたそうです。2歳くらいで父が厚木に家を買って引っ越しました。デビューして、しばらくは実家にいましたが、通いきれなくなってホリプロの寮に入り、高校も転校しました。寮生は10人以上いました。大体20歳くらいで寮を出るのですが、私は23歳まで寮にいたんです。そろそろ1人暮らしをしようと部屋を探し始めたら、手が届く物件が意外と見つからないんです。範囲を広げて探し、ようやく世田谷区にマンションを借りることになりました。会社から住む場所について「環状七号線は越えてもいいが、環状八号線は越えないように」と言われていて、何とかその範囲に収まりました。内覧に行った時、すごく広い窓を見て「ここなら思いっきりお布団が干せる︕」と思ったのが決めてでした。
ところが、その部屋は北東向きだったんです。初めての家探しで間取り図の見方もよくわからないし、内覧に行った日はくもりだったので、日当たりが良くないことに気づきませんでした。そんな失敗をしながらも、自分で探した部屋で新生活をスタート。仕事がかなり忙しくなっていたので、母が一緒に住んで生活をサポートしてくれました。
6畳の和室、4.5畳と6畳の洋室、リビングダイニングの3LDK。それほど広くはないけれど、手狭でもなく「住めば都」で、結局そのマンションには子どもが生まれるまで住んでいました。28歳で主人(俳優の渡辺徹さん)と結婚した時、同じマンションに2DKの部屋を借りました。仕事柄、私の洋服やいただきものなど荷物がとにかく多くて、2軒に分散して何とか置けるという感じでした。子どもが小さい頃は、和室にお布団を敷きつめて、私と主人、子ども2人で川の字になって寝ていたんですよ。
家族の日常を大切にしたくて、
初めての家を建てる

主人とは「いずれは自分たちの家を建てたいね」と話していましたが、子どもたちが生まれてから、日々の生活を意識するようになり、家族が安心して暮らせる自分の家を持ちたいという気持ちが強くなりました。勉強したり、遊んだり、お祝いしたり、そういう何気ない時間を家族と重ねていく場所、そんな家が欲しいなって。
しばらく良い土地が見つからなかったんですが、たまたま叔父の紹介で、「今度、空く土地があるから」と言われて見に行き、そこを夫婦の共同名義で購入しました。
実は私、住宅展示場を見に行くのが趣味だったんです。いろいろ見て回るのが大好きで。でも、自分の生活に合った家を白紙から作り上げるとなると、壁紙はどうするとか、コンセントはどこにするとか、あらゆることを決めなくてはならなくて…。何をどうしたらいいのか全くわからなくなってしまい、主人が中村雅俊さんに相談したら、すごく立派な設計士さんを紹介して下さったんです。でもその方が、「トイレは7つ、お風呂は4つくらいでいいですか︖」とおっしゃった時に「私たちじゃ釣り合わない…」と感じて丁重にお断りしたんです。当時の私たちは、トイレもお風呂も「当然、1つでしょう︖」という感覚でしたから(笑)。
結局、他の設計士さんにお願いしましたが、私たち2人とも仕事が忙しく、ほとんど全部お任せになってしまいました。完成した夢のマイホームは…「純和風」。20代の夫婦の初めての家が、風格のある日本建築だったんです(笑)。設計士さんが随所に素晴らしい建築技術を取り入れたり、階段下収納や廊下に天井までの壁面収納を作ったりと、デッドスペースが有効活用され、背の低い私には届かないほどでした(笑)。
主人がこだわったのはシアタールーム。それほど広くはありませんが、2人の資料となるレコードやビデオをずらりと並べ、カラオケやピアノのレッスンもできる防音の地下室でした。あとは、キッチンの並びに家事室を作ったんですが、結局そこは主人のパソコン室になりました。パソコンをどんと置いて、主人がずっとそこにいるんですよ。でも、家事をする私と背中越しに会話したりして、自分の部屋が欲しい主人と家の中を動き回る私にとって、ちょうどいい場所でした。
将来を見据えた二度目の家づくり。
暮らしが変わっても大切にしたい家

長く住んでいると不便な点も気になってきますよね。その家は奥まった立地だったので、車を停めるスペースがとても狭くて、雨の日は家に入るまでの間、傘が差せなかったほど。「これが改善できる場所はないものかしら」と、電信柱の貼り紙など、近隣の不動産情報を気にかけていました。ある日の散歩中、理想に近い売地が出ているのを見つけて飛び込みで案内してもらい、購入することができました。道路に面していて、広さも形も申し分なく、理想的な条件がそろった土地でした。それに将来、年老いた親と同居するかもしれないと考えた時、暮らしやすそうな町だと思えたんです。
家を建てるのが2軒目となると、前回の反省や経験を生かして、将来の家族の形を見据えた家づくりに取り組みました。当時は私の母が同居していましたが、いずれは主人の両親も呼び寄せるかもしれないから和室を2つにしようとか、エレベーターがあったほうがいいだろうとか。主人の意向で、子どもたちはいずれ自立して家を出ていくから、子ども部屋は小さめにし、その代わりにロフトをつけました。狭くて可哀想かなと思いましたが、息子たちには基地みたいで、楽しかったみたいです。私たち夫婦もお互いに念願の自室を持てるようになりました。もちろん、シアタールームもグレードアップしました。
今、住んでいるのもこの家ですが、私たち夫婦を意識して設計士さんが取り入れたのが、お風呂。体が大きい主人のために、お風呂が広くて、バスタブも本当に大きいんです。私と母は、溺れないように気をつけながら湯船に浸かっています(笑)。主人が他界して、持て余しているのはお風呂くらい。息子2人が自立して部屋は余りましたが、足腰が弱くなった母がベッドのある子ども部屋を使い、息子たちが泊まりに来たら和室を使うようになりました。生活も家族構成も変化しましたが、家の使い方や暮らし方もそれに合わせて変え、居心地よく過ごせています。SNSに投稿することもある玄関先の広いスペースは、主人のアイデアなんです。とにかく家に人を呼びたい人で、「打ち合わせや取材などもできる場所が欲しい」と言うので作った空間です。吹き抜けで開放感があり、絵を飾ったりソファーを置いたりしています。今は主人の写真を置いていて、お線香をあげに来て下さる方がいたり、ちょっと立ち寄って思い出話をしたり、今でも主人を通して人が集まる場所になっています。建ててから10年以上経つ家なので、あちこち傷んだところが気になったりもしますが、リフォームをするほどでもないかな。自立した息子たちにとっては育った家ですから、たまに帰ってきて羽を伸ばしたり、ほっとできる場を残しておいてあげたいです。
こぼれ話
渡辺徹さんの提案で設えた、玄関を入ってすぐの空間です。
生活の場がお客様の目に触れることもなく、ちょっとしたお話ができる、と言っていました。
今は、「徹さんにちょっとお線香を」という方をお通しして、思い出話をする場にもなりました。
INFORMATION
2022年夏に開幕し、2024年7月にロングラン3年目を迎えた舞台
『ハリー・ポッターと呪いの子』
榊原郁恵さんはマクゴナガル校長役として出演しています。
舞台『ハリー・ポッターと呪いの子』©TBS/ホリプロ
日程︓上演中~2025年6月末 ※25年6月以降も上演予定
会場︓TBS赤坂ACTシアター
上演時間︓3時間40分 ※休憩あり
【主催】TBS ホリプロ ATG Entertainment
With thanks to TOHO
In association with John Gore Organization