Vol.42 松木安太郎さん

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インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼ 各界でご活躍の方々に、家、住まいに、住み替えにまつわるお話を伺いました。インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼

Vol.42 2015/11/17更新

『私も娘たちも、子どものころから暮らすこの家が
いちばん、居心地がいいのだと思います。』 松木安太郎さん

『私も娘たちも、子どものころから暮らすこの家が
いちばん、居心地がいいのだと思います。』松木安太郎さん

profile
松木安太郎(まつきやすたろう)
1957年東京都生まれ。16歳で読売サッカークラブ・トップチームに最年少選手登録。その後日本代表として活躍。90年の現役を引退後、93年ヴェルディ川崎のヘッドコーチ、翌年には監督に就任。その後もセレッソ大阪の監督や現・東京ヴェルディ監督を務める。近年は解説者として活躍するほか、サッカー教室なども行う。

子どものころから、今も変わらず 実家で暮らす松木安太郎さん。 仕事がら各地を飛び回るので、家で過ごす時間が少ないからこそ 逆に自宅の居心地のよさを実感しているそう。 建て替えやリフォームも経て、 今は3世代が暮らすその住まいの履歴をうかがいます。

生まれは、日本橋に佇む老舗の鰻屋。引っ越し後は2つの家を行き来する生活

松木安太郎さんの写真1
子どものころを振り返る松木安太郎さん

私の母の実家は日本橋小伝馬町で明治時代から続く鰻屋を営んでいて、私もそこで生まれました。3歳くらいまでは店の奥にある一部屋で、両親と暮らしていました。とにかく商売中心の家でしたから、私たちが暮らしていた部屋も住まいとはいえ、お客様の荷物部屋のような場所。家の中で遊べば、商売のじゃまになるとよく叱られたものです。
私が3歳のころに祖父が千葉県・市川市に家を買ったため、両親と私もそこで暮らすようになりました。でも、母が鰻屋で働いていたので、私も昼間は小伝馬町の家で過ごし、夜に一緒に帰る生活でした。学校は都内に通っていたので、授業が終わると母のもとに寄って夜一緒に帰ることもあれば、直接帰宅して祖父や近所の友だちと過ごすこともありました。寝泊りをするのは市川の家ですが、「家に帰る」と言っても2ヵ所あるわけです(笑)。
引っ越した当初、市川の家には広い庭がありました。我が家は8匹の犬を飼っていたので、いつも庭で犬が走り回っていましたね。父が作った池もあり、金魚が泳いでいたことを覚えています。建物は平屋で、昔ながらの日本家屋。
昭和30年代ですからお風呂も薪で沸かしていて、蛇口をひねればお湯が出てくる時代ではありません。でも、その頃、日本は高度経済成長期ですから、近代的な団地もどんどん建設され、そこに住んでいる友だちもたくさんいました。そういう家にはお湯が出てくるシャワーというものがあることを知ったんです。サッカーの練習から帰ったあといつも水を浴びていた自分からすると、それがとてもうらやましかったですね。

現役時代も現在も実家暮らし。大学生のころは仲間たちと、部屋を借りた経験も

松木安太郎さんの写真2
学生時代を思い出す松木安太郎さん

中学から大学まで都内の学校でしたが、すべて家から1時間以上かけて通っていました。そして、現役時代、監督時代、現在も同じ場所にずっと住んでいます。
そのため、寮生活はおろか、マンションを借りて一人暮らしもしたことがありません。1998年から1年間、セレッソ大阪での監督時代には、わがままを言ってホテル暮らしをしていました。チームに賃貸マンションを用意してもらうこともできましたが、明かりが灯っていない家に帰るのってイヤじゃありませんか? 寂しいし、いろいろ自分でやらないといけませんし(笑)。
ただ、大学生のときに4人の仲間と大学の近くに、アパートを一部屋、借りていたことはあります。小さいワンルームに2段ベッドを2つ並べて、スペースをシェアしていました。休みの前日などに集まってみんなで話し込んだり、翌日、朝が早いというときに寝泊まりをしていました。一緒に部屋を借りていたメンバーは、種目は違えどもスポーツをやっている友人たちばかりだったので、スポーツの話や将来の話でよく盛り上がりました。そこで暮らしていたメンバーもいるのですが、私はあくまでも市川の家が住まい。そこは、仲間と集まる「アジト」のような空間でした。

建て替えとリフォームを経験。今は3世代が暮らす家に

松木安太郎さんの写真3
現在の暮らしについて話す松木安太郎さん

家は建て替えとリフォームを一度ずつ行っています。建て替えをしたのは私が20代前半のころ。母の考えで敷地内にアパートを3棟作ることになったんです。父は他界していたうえ、私もまだサッカーでこの先ずっと食べていけるかどうかがわからないころです。そういった事情を考えてか、アパートを建てて貸すことにしたのだと思います。
同じタイミングで家も建て直ししました。当時は母と私だけですから、ふたりでいろいろ相談しながら間取りなどを考えた記憶があります。ただ、家は新しくなったものの、私はちょうど日本代表に選ばれ出して、地方に遠征に行くことや合宿が多くなり、家を空けることが多くなりました。30歳のときに結婚をして家族も増えましたが、忙しさは増すばかり。家に帰れる時間はさらに減ってしまいました。それでも、というか、だからこそ、家に帰るとほっとします。いろいろなプレッシャーから解放される空間なのでしょうね。
最後のリフォームは、現役引退、そして監督を退いた2001年です。すべて建て替えるのは大変だからという理由でリフォームにしましたが、長年住んだ家の姿そのものを壊してしまうのはやるせないという気持ちもあったのだと思います。このときのリフォームは子どもが中心です。私には3人の娘がいますから、3人の勉強机が置けるスペースを作ってあげたい、成長したら間取りを変えて個室にしようなど、いろいろ思いを巡らせて工夫しました。コストを考えると想定よりもかなりオーバーしてしまいましたが、自分なりに納得できる家になったので、満足しています。
そして今は、3人の娘たち、そして孫も我が家で暮らしています。生活スタイルはバラバラなので、みんなでそろって食事をするようなことは滅多にありません。私も含め、それぞれが自分のペースで自由に暮らしています。でも、それが居心地いいようで、結局この家にみんな戻ってきたのだと思います。女性が多い家ですから、私は少々肩身が狭いですが(笑)。

取材協力:ロイヤルパークホテル

こぼれ話

日本の主役になるであろう、若いアスリートを中心にとりあげる応援番組「TOKYO応援宣言」(テレビ朝日・土曜深夜0:15∼)に毎週、出演されている松木さん。東京五輪まであと5年! 1964年のときは自分がおじいさんと一緒に応援した東京オリンピック。5年後はお孫さんと応援する五輪として、楽しみにしているそうです。

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