Vol.40 東貴博さん

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インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼ 各界でご活躍の方々に、家、住まいに、住み替えにまつわるお話を伺いました。インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼

Vol.40 2015/9/22更新

『これまでは断然、賃貸派でしたが
子どもが生まれてからは、建てることも考え始めました』 東貴博さん

『これまでは断然、賃貸派でしたが
子どもが生まれてからは、建てることも考え始めました』東貴博さん

profile
東貴博(あずまたかひろ)
1969年東京・浅草生まれ。94年お笑いコンビ「Take2」を結成。テレビ、ラジオ、舞台などで活躍。また、「東MAX」の愛称でも活動している。2011年にタレントの安めぐみさんと結婚し、14年には長女が誕生。父はコメディアンの故・東八郎さん。

浅草の下町で生まれ育った、東貴博さん。 20代半ばで実家を出たあと何度か引っ越しを重ね、 結婚を機に今の家で暮らしをスタート。 賃貸派だったものの、昨年お子様が誕生すると、 少し考えが変わってきたそうです。 ご実家での暮らしから、一人暮らしのころのこと、 今後のプランについてもうかがいました。

浅草の実家は多くの人が出入り。狭いながらも、不便のない暮らし

東貴博さんの写真1
子どものころを思い出す東貴博さん

実家は浅草のにぎやかな商店街にあり、母がスナックを営んでいました。兄が1人、妹が2人、弟が1人の5人兄弟。祖父母、両親、叔父、さらに住み込みのお手伝いさんも一緒に暮らしていましたから、大家族でした。それに加え、父のお弟子さんや店の従業員の方など、いつもたくさんの人が出入りしている家だったんです。夕飯は20人くらいが入れ代わり立ち代わりやって来て、まるで食堂のよう。毎夕食、米2升を炊いて、それが空になるくらいですから、大人数でしたね。
住まいは4階建てでしたがリビングのほかは、5部屋しかありませんでした。父母、祖母、叔父の部屋がそれぞれあり、子どもたちはみんな同じ部屋。ひと部屋に兄弟5人とお手伝いさん、合計6人が川の字になって寝ていました。住んでいた当時はそれが当たり前で、窮屈と感じたことはありませんでしたが、今振り返ると相当狭かったな。よくあれだけの人数で生活していたなって思いますよ。
実家には25、6歳まで住んでいました。芸人としての稼ぎはほとんどありませんでしたし、実家にいれば食事にも困らない。それに、浅草は交通の便がいいんです。複数の路線が通っているうえに、東京駅も近いですから、都心にも地方に行くにもアクセスがいい。便利だし居心地もよかったから、家を出たいという気持ちが生まれなかったですね。ただ、大家族だとプライベートの空間がないため、彼女を家に呼べません。だったらやはり一人暮らしをするしかないと思い、アルバイトをしてマンションを借りることにしました。それが、家を出たきっかけでした。

引っ越した街では、地元の人しか知らない名店を探すのが楽しみに

東貴博さんの写真2
一人暮らしを振り返る東貴博さん

実家を出て最初に住んだのは京王線沿線のマンションです。間取りは2DKで家賃は、13万円くらいだったかな。彼女と一緒に暮らすつもりだったので、広さも重視しました。でも、どうやら彼女は、親から許しがもらえていなかったらしく、結局私一人で住むことになったんです。芸人の収入は少なかったのですが、アルバイトをすればなんとか払えるかなと思って、そのまま住むことにしました。でも、そこに住むようになってから不思議と仕事が入るようになって、芸人の仕事だけでも払えるようになっていきました。実家にいたときは感じませんでしたが、自分で家賃を払って生活が成り立つと、それが仕事のモチベーションにもなりました。
そこで4年ほど暮らしたあと、目黒に引っ越したんです。その部屋は、窓から品川のビル群が見えて「都会」って感じでした。目黒を選んだのは、車で都内の道をいろいろと走ってみて「気がいい」と感じるエリアだったからです。超能力があるわけではないので、適当な勘ですよ(笑)。でも、それを信じて引っ越すと、本当にパワーにあやかったのか仕事を順調にいただけるようになったんです。仲のいい後輩芸人も「東さんが、気がいいって言うんだったら僕も引っ越します」って、目黒に移ってきたのですが、彼も仕事が軌道に乗り始めましてね。偶然でしょうけど(笑)。
その後は、東急池上線沿線のマンションへ移り、しばらく住んであとはまた目黒区に引っ越しました。同じ場所にずっと住むよりは、いろいろな街を知りたいという気持ちがあったので引っ越しに対するフットワークは軽いほうだと思います。街を散策して美味しい店や飲み屋を探すことが好きで、良さそうな店構えを見つけるとふらっと入ったりします。当時は、今のようにインターネットで店を探せる時代ではなかったので、地元の人しか知らない店もたくさんありました。そういう店に出会うのも楽しかったですね。

子どもが生まれてからは家を建てる考えも。建てるなら、”笑える家”にしたい

東貴博さんの写真3
現在の家について話す東貴博さん

2011年に結婚したのを機に、今の家に引っ越しました。この家も含め、実家を出てからはずっと賃貸です。実はこれまで家を買うという考えはありませんでした。もし家を買っても、将来売却したいときに高く売れるかどうか分かりませんから、だったら現金で残しておいたほうが賢明なんじゃないかと思っていたんです。それに、引っ越したいと思ったときに、すぐ引っ越せるという点も、私にとっては魅力でした。
しかし、昨年、子どもが生まれてからその考えが変わってきました。子どもが快適で安全に暮らせることを考えた家を建てたい、という気持ちが生まれたのです。理想の住まいにするには、賃貸では難しい部分もありますから、一から建てたいという考えも沸いてきたんです。
それから、「家を建てる経験をしたい」というのもひとつの理由です。一人暮らしもしたし、車も買ったし、結婚もしたし、子どももできた。まだやっていないのは、「家を建てること」かな、と。建てるならどのエリアがいいんだろう、などと漠然と考えるようになりましたね。
家を建てるとなれば、”笑える家”にしたいんです。例えば、玄関の扉を開けたら、なぜか全面ゴールドになっているとか。一人暮らしのときは、玄関に、よくお金持ちの家にありそうな、虎の頭がちょこんとついたカーペットを敷いてました。もちろん、偽物ですけど。でも、家に来た人には「何これ?」って突っ込まれるでしょ。そういうくだらなくて、笑えるポイントを、建てる段階で取り入れたいですね。あと庭は欲しい。アメリカ映画に出てきそうな、庭で犬を走らせるっていうのをやってみたいんです。
今の家は外国人向けに造られた一軒家なので、冷蔵庫もオーブンもビッグサイズ。ガスコンロが5つあるしバスルームも3つある。でも、そんなに必要ないでしょ。家の造りも家具や電化製品も日本製が使いやすいっていうのは、今の家に住んで感じています。でも、新婚旅行でイタリアに行ったらすっかり魅了されてしまって、イタリア風の家もいいなって思ってるんですけどね(笑)。

こぼれ話

子どもの頃から料理好きで、ご家族のために頻繁に手料理をふるまっているという東さん。その腕前は、かなりハイレベル。写真は東さんお手製の、チキン のラタトゥイユ。授乳中に摂取するといいと言われる根菜類がたっぷり。栄養価も考えて、作られているそうです。

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