Vol.45 奈美悦子さん

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Vol.45 奈美悦子さん

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インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼ 各界でご活躍の方々に、家、住まいに、住み替えにまつわるお話を伺いました。インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼

Vol.45 2016/2/16更新

『究極はトランクひとつの荷物。それくらい潔くシンプルに暮らすのが憧れです。』 奈美悦子さん

『究極はトランクひとつの荷物。それくらい潔くシンプルに暮らすのが憧れです。』奈美悦子さん

profile
奈美悦子(なみえつこ)
1950年奈良県生まれ。62年西野バレエ団に入団し、16歳でダンスグループ「レ・ガールズ」のメンバーとしてデビュー。67年に『文五捕物絵図』(NHK)に出演。同年7月には「大阪ブルース」で歌手デビューも果たす。現在は女優としてはもちろん、バラエティ番組やワイドショーのコメンテーターとしても活躍。

10代から多忙な生活を送ってきた奈美悦子さん。上京後は寮生活を体験したり、ライフスタイルの変化とともに何度も引っ越しを重ねたそうです。そして、現在は旦那さんと愛犬と一軒家で暮らす日々。そんな奈美さんの住まいのこだわりや履歴を振り返ります。

実家は広い田舎の一軒家。子どもの頃は、学校まで家族が送り迎えをする生活。

奈美悦子さんの写真1
子どもの頃を振り返る奈美悦子さん

私が育ったのは奈良県のとても広い家です。私が幼い頃に両親が離婚していたので、私は母の実家で暮らしていました。そこは祖父母や叔父、叔母、さらにはお手伝いの方や私の子守りをしてくれた方も一緒に暮らす大所帯でした。和室が連なっていて襖を取り払うと広い居間になり、そこで親戚の結婚式を行うこともありました。たくさんの人が集まっても狭さを感じさせない広さでしたが、幼い私にとってはただただ、その広さが恐怖でした。昔の日本家屋ですから天井も低く、暗くて寒かった記憶ばかり。お手洗いも長い廊下の奥にありましたから一人では怖くて行けず、いつも家族の誰かに付き添ってもらいました。お風呂も母屋から離れたところにあったため、とうてい一人では入れませんでした。
小中は奈良から大阪の学校に通っていたのですが、中学校3年生まで一人で学校に行ったことはありませんでした。毎日、家族の誰かが一緒に電車に乗り、送り迎えをしてくれました。というのも当時は両親が離婚している子どもは珍しかったので、それを理由にいじめられるのではないかと、母や祖父母は過剰に心配していたようです。そのため一人では行かせられないと毎日送り迎え。いくら心配といえ、かなり過保護でした(笑)。
日本舞踊や書道など習い事もたくさんさせてもらいましたが、どれも続かなくて、その中で唯一続いたのがバレエでした。他の習い事は母たちに言われるがまま始めたのですが、バレエだけは自分からやりたいとお願いをし、13歳のときに大阪で一番大きなバレエ団である「西野バレエ団」に入りました。のちに共演する金井克子さんは、当時すでにバレエ団のスター的存在でした。そんな金井さんに私も憧れ、「やるならば一番になりたい」「私も目立ちたい」という気持ちが芽生え、先生の目につくように黒のレオタードに赤いベルトを締めたり、自分から最前列で踊るようになりました。その後、16歳のときには西野バレエ団のダンスグループ「レ・ガールズ」に抜擢していただいてデビューを果たし、金井克子さん、由美かおるさん、原田糸子さんと共演することになったのです。

デビュー後は東京での寮生活。ホームシックながらも、忙しく働いた日々。

奈美悦子さんの写真2
デビュー当時を思い出す奈美悦子さん

デビューしたての頃は学校へ行き、終わるとレッスンへ。その後仕事のために飛行機で東京に向かいました。当時は夜中に離陸する大阪行きの便があったので、真夜中に地元に戻り、仮眠をして、翌朝学校へ行くという日々。16歳にして寝る時間もままならないほどの忙しさでした。
ますますテレビの仕事が忙しくなると、日帰りでは大阪に戻れなくなったので、東京・白金の女子寮に入りました。これまで学校にも一人で行かせられなかった娘を家から出すのですから、家族にとっては一大事です。祖父母は当然「寮には入れられない」と猛反対。特に祖母はショックで食べものも喉を通らなくなって、体調を崩してしまったほどです。私自身も最初は淋しくて、夜になると寮の公衆電話から実家に電話をかけては、「帰りたい、帰りたい」と泣く始末。家族は「いつでも迎えに行くから、早く帰ってきなさい」と、その繰り返しでした(笑)。そうはいっても掴みかけた夢を諦めるわけにはいかず、忙しい日々が過ぎていきました。
寮には約60人が生活していました。バックダンサーは大部屋でしたが「レ・ガールズ」の主役メンバーだった私は6畳の個室を与えてもらいました。でも、怖がりだった私は、一人でいるのが怖く、いつも部屋のドア全開にしていました。誰かの声が聞こえていないと不安で、寝るときもずっとドアを開けっ放しだったのです(笑)。
東京のバレエ団では二十歳まで寮で生活することがルールで、それ以降は出るも残るも自由でした。私はとにかく寮を早く出たかったので、二十歳の誕生日の3日後、12月30日に、まるで夜逃げのように引っ越しをしました(笑)。そして、最初に住んだのは低層で2DKのマンション。8畳のリビングと寝室があって細長い部屋だった記憶があります。その物件は事務所の方が探してくれたのですが、私がお願いした条件は給料に見合った家賃、高い場所が苦手なので低層、そして日当たりが良い、ということくらい。最初の引っ越しはとにかく寮を出たいという気持ちが第一で、細かいこだわりはほとんどありませんでしたね。

家の中に余計なものは一切置かない。シンプルな空間がこだわり

奈美悦子さんの写真3
今の暮らしを語る奈美悦子さん

最初の部屋には約2年住み、その後も家族構成や生活環境の変化に合わせて住み替えをしたのですが、振り返ると現在に至るまで賃貸で14回も引っ越しをしているのです。
その賃貸生活から、息子が小学校6年生になったときに初めてマンションを購入しました。その後、息子が成長して手狭になり、5年ほどして引っ越すことにしました。犬も飼っていたので、今度は庭がある建売の一軒家を購入することにしたのです。
賃貸はなかなか手を加えることができませんが、自分の物なら自由に内装などを変えられるのも嬉しい点です。自分好みでないものは徹底的に変えたいので、壁紙の貼り替えはもちろん、キッチンやお風呂などもリフォームしました。キッチンは全体的に低い造りだったので、私の背丈に合った使い勝手のいい高さに変えましたし、食器棚はすべて備え付けにしました。
インテリアはとにかく「シンプル」。余計なものは置きませんし、リビングのテーブルの上にもキッチンのシンク台やカウンターにも物一つ出しっ放しにはしません。シンク周りの水滴もコンロの油もきっちり拭き取り、汚れは一切残しません。来客には「モデルルーム?」とか「住んでいるの?」と言われるほど生活感がなく、いつもピカピカです。昔から、祖母に身の回りをきれいにすることを教え込まれていたので、寮生活の頃から部屋は誰よりもきれいでした。その習慣は息子にもすっかり染みつき、彼は私よりもきれい好き。きっちりし過ぎて、お嫁さんは困っています(笑)。
一軒家を購入して20年ほど経った7年前に建て替えをしたのが今の家です。この家は2007年に再々婚した夫がすべて設計しました。3階建てですが、のちのち暮らすのは私と夫の2人ですから以前の家よりもややコンパクトです。3階は玄関もバスルームも付け、息子の住まいにしたのですが建てた1年後には結婚して家を出ていったので、今は夫の居住空間になっています。私は2階で暮らしているので、家庭内別居のような生活です(笑)。
家にも物にも執着心はまったくないので、ここが終の棲家とは思っていません。なので、いずれは売却することもあるかもしれませんね。私の究極の理想は不要なものはすべて処分し、トランクひとつ分の荷物でホテルに暮らすこと。掃除などをしなくていいので楽というのもありますが、そこまで身軽に潔く暮らせたら、かっこいいでしょ? そんな妄想を抱いています。

衣装協力:Otto(チュニック),Grosse(ネックレス)

こぼれ話

まるでモデルルームのように、すっきりと片づいている奈美さんのご自宅。「キッチンも洗面所でも、汚れはもちろん水滴もすぐに拭き取るので、水垢が残ることもありません。常にきれいな状態にしているので、大掃除も必要ないんです」。

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