Vol.46 野々村真さん

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インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼ 各界でご活躍の方々に、家、住まいに、住み替えにまつわるお話を伺いました。インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼

Vol.46 2016/3/22更新

『デザイン性ばかりではダメ。 利便性や生活動線を考えることが大切なのですね』 野々村真さん

デザイン性ばかりではダメ。 利便性や生活動線を考えることが大切なのですね。野々村真さん

profile
野々村真(ののむらまこと)
1964年東京都生まれ。82年に「いいとも青年隊」としてデビューし、その後タレント、俳優として数々のテレビ番組に出演。現在は、『世界ふしぎ発見』(TBS)をはじめ、バラエティ番組を中心に活躍している。95年に元アイドル・坂上とし恵さんと結婚。長女・香音さんもモデル・女優として活躍。

文教の地であり、後楽園球場も至近距離。文京区本郷という土地で生まれ育った野々村真さんは、そんな環境ならではの思い出がたくさんあるそうです。また、恐妻家としてしても有名ですが、結婚を機に建てたという家は、実は反省点や奥さんからのダメ出しも多いのだとか。そんな野々村さんの住まいの履歴や理想をうかがいました。

実家は文京区の青果店。子どもの頃の遊び場は東京大学

野々村真さんの写真1
子どもの頃を振り返る野々村真さん

実家は東京・文京区の本郷にあり、祖父の代から青果店を営んでいました。本郷といえば文豪ゆかりの地ですし、近隣には東京大学、順天堂大学、東京医科歯科大学など有名な大学がいくつもあります。特に実家と東京大学は目と鼻の先。大学の敷地内は一般の人も自由に出入りができるので、小学生の頃は学校が終わると同級生たちと東大に行くのが日常でした。広い敷地は当時の私たちにとって絶好の遊び場。敷地内にある三四郎池で、禁止されている釣りをしたり、グラウンドで勝手に野球をしてはよく怒られましたね(笑)。
私が3歳のときには目の前で東大紛争も起こりました。機動隊と学生が衝突するその光景はあまりにも衝撃的だったので、幼い日の出来事ながら今でも目に焼き付いています。また、家の前には赤色の公衆電話があり、毎年、東大の合格発表の日には受験生が田舎の親御さんに報告をするために列を作っていました。不合格だった人を見かねた母が、「これ食べて、元気出しな」と果物を差し出していたことも、うっすらと記憶にあります。
近所には東京大学医学部の付属病院をはじめ大学病院がいくつもあるので、体調を崩せば母に「東大に行く? 順天堂に行く?」と聞かれました。私と名門大学は無縁のように思われがちですが、意外にも子どもの頃から身近だったんです(笑)。

野球で挫折し、芸能界へ。同棲中は6回も引っ越し

野々村真さんの写真2
デビュー当時を思い出す野々村真さん

幼い頃から野球少年で、中学校、高校も野球部に入りました。大半の男の子の夢は「プロ野球選手」という時代でしたが、なにせ、私の実家から後楽園球場は歩いて10分程度。そのため、自分も将来は「ジャイアンツの選手として、後楽園に通う」と思っていました。夢というよりは、そうなるものだと思っていましたから(笑)。中学ではピッチャーで打順は3番や4番と、チームでも主力選手だったんです。だから、甲子園へ行って、その後はプロの選手になれるというシナリオを疑っていなかったのですが、人生、そう甘くはありません。高校で挫折しました。
高校時代のライバル校には、時の国民的スターで、のちにヤクルトスワローズで活躍する荒木大輔選手がいたんです。どうあがいても、野球では荒木さんに勝てない。でも、「何かで勝ちたい。他で勝てることはないだろうか」と、漠然と思っていました。そんなときに芸能界にスカウトしていただき、「芸能人として有名になろう」と決意したんです。その後、「いいとも青年隊」のオーディションに合格し、2年半ほど番組に出演させていただきました。その頃は部屋を借りる金銭的な余裕はなかったので、実家からスタジオのある新宿まで電車で通っていました。
番組の共演がきっかけで奥さんと出会ったのも、その頃です。もう時効だと思いますから白状しますが、『笑っていいとも』出演中、すでに私が彼女のマンションに転がり込むような形で同棲を始めていました。当時は彼女のほうが収入があったので、私はプチひも状態。それが、今の夫婦間の上下関係にも影響しているんです(笑)。結婚するまで約10年付き合っていたのですが、その間に6回引っ越しをしました。芸能記者の方から逃げるように、都内を転々としていたんです。ところが5回目の引っ越しでは、新居に移った当日、片付けが終わり一息ついた瞬間インターフォンが鳴りました。なぜか、記者の方に気付かれていたんですね。しかも彼女が、引っ越しの疲れからかうっかり名前を言ってしまって、せっかく逃げてきたはずなのに、その日にバレてしまった、ということもありました。

デザイン重視のあまり、使い勝手の悪さが裏目に。利便性を考慮したリフォームを

野々村真さんの写真3
今の暮らしを語る野々村真さん

結婚を機に建てた一軒家が今の住まいです。建てた当時は、子どものことはまったく頭になく、夫婦二人で住むことしか考えていなかったんです。だから、当然、子ども部屋もありませんでした。リビングはお城のような空間をイメージして円柱状にしたのですが、それが結局、部屋の面積を狭めてしまうことに。奥さんが喜ぶと思ったのですが使い勝手が悪いと、文句を言われています。風呂も憧れだけで広い浴槽にしてしまったところ、お湯をためるのに1時間もかかり、入るまでにお湯が冷めてしまう始末。浴槽の面積がある分、洗面スペースは狭くなってしまい、すごく窮屈なんです。デザイン性ばかり重視して、機能性をほとんど考えていなかったんですね。だから後悔している点はたくさんあります。
8年前にリフォームをして子ども部屋を造り、狭かったキッチンをアイランドキッチンにしてダイニングスペースも造りました。一度リフォームはしたものの、それでも不便なところはたくさんあります。だから、資金ができたら再度リフォームをしたいと思っています。浴槽はもっと小さくして、洗面スペースを広く。10畳もある玄関も狭くして、その分収納を増やすなど、無駄を省き、必要なスペースを増やすようきちんと計算して改装したいと思います。
今の家を建ててもう20年近くになりますが、憧れだけではダメということを、日々身を持って感じています。家は利便性や生活動線、先々のことも考えて造ることが大切ですね。

こぼれ話

写真は、円柱状に設計された野々村さん宅のリビング。
「奥さんが喜ぶと思って、お城のようなデザインにしたのですが、結局、部屋の面積が狭くなり家族からは不評です。でも、建設するときは、奥さんも賛成だったのですよ」。

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