Vol.63 増田惠子さん

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インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼ 各界でご活躍の方々に、家、住まいに、住み替えにまつわるお話をうかがいました。 インタビュー 私のいえ ∼すまいの履歴書∼

Vol.63 2023/02/10更新

家を買ったことで根を生やせたと実感。温かみとやすらぎのある理想の場所です。

家を買ったことで根を生やせたと実感。温かみとやすらぎのある理想の場所です。 増田惠子さん

profile
増田惠子(ますだ・けいこ)
出身は静岡県。1976年、ピンク・レディー「ペッパー警部」でデビュー。アイドル黄金期の中でも一世を風靡しトップアイドルとして知らぬ人のいない存在に。1981年解散後、中島みゆき作詞作曲「すずめ」でソロデビュー。40万枚の大ヒットでYTV有線放送大賞特別賞をはじめ各賞受賞。2003年にはピンク・レディー メモリアルコンサートツアーを開催し、40万人を動員。以降もアルバム「愛唱歌」や2022年7月にはソロデビュー40周年記念アルバム「そして、ここから…」のリリースなど精力的に活動を続ける。趣味はクラシックバレエ、料理 、ガーデニング。

ピンク・レディーの活動中は忙しすぎて「家」で過ごした記憶がないという増田惠子さん。ご近所とにぎやかに暮らした幼少期の家から、多忙を極めた20代を経てめぐりあった理想のマンションまで、生活とともに変化した住まいの思い出について伺いました。

親戚の家で、ご近所と大家族のように暮らした幼少期

増田惠子さんの写真1
焼津の自然の中での楽しかった暮らしを語る増田惠子さん

一番古い「家」の記憶は3歳の頃、両親、兄、姉と一緒に家族5人で暮らした静岡市にある県営アパートです。3階建ての最上階で、朝日も夕焼けもよく見える見晴らしの良い家でした。周囲に見える山の緑も美しくて、どこかから野焼きの香りが漂ってくる、のどかな風景をよく覚えています。食事の時はちゃぶ台の前に座る父のあぐらの上が私の席でした。末っ子の私をすごく可愛がってくれた父との思い出の家なんです。
その父が4歳になる頃に亡くなって、母が働きに出ることになり、幼かった私は平日の間、焼津市の伯母夫婦の家に預けられることになりました。伯母の家には以前からよく兄妹3人だけで泊まりに行っていたので、それがちょっと長くなったという感覚で、土日に母が迎えに来て週末は自分の家に帰るという生活を続けていました。
ところが、小学校へ上がる時にちょっとした問題が起きました。焼津の小学校に通うには戸籍が焼津市にあることが必要だったんです。それで、母のところに戻るか、伯母の養子になるかという話が持ち上がりました。私は「お母さんとも暮らしたいけど、このまま伯父さん伯母さんの家にもいたい」とどちらも選べない気持ちで、でも一方では「お母さんが大変だから自分はこの家に預けられている。帰りたい時はいつでもお母さんのところへ帰れる」と、大人の事情もよく理解していました。だから私、「焼津のおうちの子になろう」と自分の意思で養子になることを決めたんです。
自分で決断したのは、焼津での暮らしがとても気に入っていたから。漁師町ならではの活気があって、ご近所みんなが仲良しでした。伯父が船元をやっていたこともあり、隣のおじさんやおばさんがうちによく出入りしていたし、お隣からは「コロッケ作ったよ」と夕飯に呼ばれ、そのまま泊まることもありました。ご近所皆の大家族で暮らしているみたいで、すごく楽しかったんです。庭先ではご近所さんたちが引き揚げたばかりの魚を選別したり、土間の先にある台所では獲れたてのカニやしらすを大きな釜でワイワイ言いながらみんなでゆでたり、いつもにぎやかな生活でした。
そんな環境で育ったものですから、小さい頃はお転婆でした。台風が来ると消波ブロックに小さなフグが打ち上げられるんですが、近所の子たちとそこに行って、ぷっくり膨らんだフグを拾っては投げて遊んだり(笑)。小川で男の子たちと素手でザリガニを捕まえて、やっぱり投げて遊んだりね(笑)。今考えると本当にひどい遊びなんですけど、どこでも遊び場になる田舎の良さを満喫していました。

未唯mieと出会いピンク・レディーを結成、寮で暮らす日々

増田惠子さんの写真2
「よく覚えていない」くらい忙しかったアイドルの頃の様子を語る増田惠子さん

中学1年の冬に伯父が亡くなり、伯母と二人で静岡市にある祖母の家に引っ越しました。鉄製の門を入ると大きな木があって、その下にパンジーなどのお花が植えられた、2階建ての家。焼津のようなご近所づきあいがなくなり、ちょっと寂しく感じましたが、母の家が近くなり、すぐに行けるようになったのがうれしかったですね。
未唯mieと出会ったのは、転校した中学校の演劇クラブでした。未唯mieは女優、私は歌手と、お互いに芸能界への夢を持っていたことで意気投合し、二人で演劇部のある高校へ進学しました。高校1年の時、友達からすすめられて「ヤマハポピュラーソングコンテスト」のオーディションを、それぞれソロで受けたんですが、浜松の決勝大会でなんと二人とも優勝。毎週土日に浜松のボーカルスクールに通い始めました。今にして思えば、その時のレッスンでピンク・レディーの基礎ができあがったのかな。全く声質が違う二人の声を活かしつつ、どうしたらうまく溶け合うのか、先生と一緒に研究しました。それが楽しくて、楽しくて。どんどん歌にのめり込みました。
ふだんはお互いの家が離れていて十分に練習ができないから、学校では休み時間のたびに未唯mieと集合して歌の練習をしていました。未唯mieが家の手伝いをするので放課後はなかなか時間がとれず、平日は学校の休み時間、週末は電車で浜松に通って歌の練習に明け暮れた高校時代でした。
そんな私たちが「スター誕生」に出演してデビューが決まり、高校を卒業して上京することになりました。私たちをスカウトしてくださったプロデューサーが、自宅の一部を寮として住まわせてくれたんです。渋谷区富ヶ谷の、ものすごく広いお家で、パティオには大型犬が2匹放し飼いされていました。私たちは北向きの寒い部屋を使っていましたが、未唯mieとの寮生活は、すごく楽しかったですね。地元にいた時は練習したくても、すぐには集まれないジレンマを抱えていましたが、寮では二段ベッドで一緒に寝起きして、思い立ったらすぐに「あそこのハーモニーはどうやるんだっけ?」と確認できるのが本当にうれしくて。
だけど、大変なこともありました。一緒に暮らしているプロデューサーのお母さんから「いつお嫁に行っても困らないようにビシビシ鍛えます」と言われ、毎朝早起きして二人で家中を掃除するのが日課だったんです。もう本当に敷地が広くて、家の中を全部きれいにするのは大仕事。ピンク・レディーとしてデビューしてからも、毎日お掃除をしてから仕事やレッスンに通っていました。それに、帰りが遅くなると夜中にボイラーの音が出るとご近所に迷惑になるからと、シャワーは水。私は密かに「呪いの館」と呼んでいました(笑)。
レコード大賞で大衆賞をいただいた時も、まだそこに住んでいましたが、多忙を極めた時期に私が腹膜炎で入院したことがあったんです。もうすぐ退院という時に「あの家には帰りたくない」と、事務所スタッフに寮生活の内情を打ち明けたら、ものすごく驚かれて。一転、二人共、ヒルトンホテルのスイートルームで暮らすことになりました。シャワーからお湯が出るのが本当にうれしかったです(笑)。

購入してますます愛着が湧く。わが家との運命的な出合い

増田惠子さんの写真3
「自分の家」での充実した暮らしぶりを語る増田惠子さん

ホテルのスイートには2年くらい住んだ後、事務所が用意してくれた青山のマンションに引っ越し、解散までそこに住みましたが、当時は忙しすぎて、ただ寝るために帰るだけの家でした。たまにストレス発散で、未唯mieと夜中に寝ないでお料理したことがあります。未唯mieがおしるこ、私がカレーを作って交換したりして。アメリカに進出した時は、ロスアンゼルスに家具付きの広い部屋を用意していただいたんですが、そこも仕事から帰って英語を覚えるだけの場所で、ゆっくり過ごした記憶はありません。
自分で初めて住まいを探したのは、ピンク・レディーが解散してから。マネージャーと一緒にいろんなマンションを見に行って、すごく気に入ったのが今も住んでいるマンションなんです。実は、同じマンションの中で4回くらい引っ越して、もう40年近く住んでいるくらい気に入っています。立地も良く、建物の重厚感が素晴らしい。広々としたロビーの内庭には噴水や大きな池があって、帰ってくると「おかえりなさい、お疲れ様」と迎えられたような気分になるんです。
以前は家を持ちたいという気持ちがなく、「ずっと賃貸でいいんじゃない?」と考えていたんですが、経理担当のスタッフから「このマンションはすごくいい物件だから、売りに出たら絶対に買ったほうがいい」と力説されて、結婚を機に今住んでいる部屋の購入を決めました。もう20年になりますが、実際に自分のものになると、やはり賃貸とは違いますね。自分が生きる場所、礎になる場所があると実感できて、やっと根を生やせたという気持ちです。
購入時にリフォームもしたのですが、内装デザインを綿密に相談できたおかげで理想の家になったのかな、と思います。シンプルなイタリアンモダンで、リビングの壁は私の希望でピンクベージュの石張りにして、収納をたくさん作っていただきました。衣装や靴の量に見合ったクローゼットを提案してもらって、キッチンは使いやすく、主人と二人で料理しながら飲んだり食べたりして楽しんでいます。
3年前くらいから、自分たちで家のことをやってみようと思い立ちました。主人と分担制にしてお掃除を始めたら、大変だし骨が折れるけど、その分、より愛着が湧くようになって。きれいにお掃除できると、やっぱり気持ちがいいですよね。これからも大切にしていきたい我が家です。

こぼれ話

ご縁があって手に入れた終の棲家と思えるわが家。自分で掃除して、ベランダでは大好きなバラを育て、猫が2匹、大好きなものに囲まれて心地よく暮らしています。

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